百々とお狐の見習い巫女生活 弐 立ち読み

 
 下宿先と百々の実家のある場所は、隣り合わせの区である。土曜日の朝なので平日のような通勤渋滞はなく、二十分くらいで到着した。
「ただいまー!」
「おかえりなさい、百々ちゃん」
 元気よく飛び込んだ玄関で、母の七恵の出迎えを受けた。七恵は四十を過ぎているのに、いつも笑顔でふわふわとした柔らかい雰囲気を身にまとっているせいか、三十代半ばくらいにしか見えない。
「おばあちゃんたら、百々ちゃんが帰ってくるって今朝になって言うんですもの」
「え、そうなの? じゃあ……お父さんともめたよね?」
「ちょっとね」
 父親の加賀丈晴(たけはる)は母の再婚相手で、百々の実父ではない。けれど、血が繋がっていない百々に実の娘のように愛情を注いでくれる大切な父親だ。
 丈晴は、もともと四屋敷とまったく縁がなかったわけではない。
 丈晴の曾祖父が四屋敷の出であり、一子の母の弟、つまり一子にとっては叔父に当たる。丈晴の代になるまで、四屋敷との交流を絶っていたので、まさに突然現れた親戚のようなものだった。
 そのため丈晴は七恵にとって遠縁であり、百々の実父が生きている頃は年の近い親戚として交流をもっていた。
 七恵の亡き夫のことを尊敬していたという丈晴は、今も百々のことをさん付けで呼ぶ。高校の教師をしている丈晴は元来真面目な性格で、それもあって彼なりに亡き百々の父に義理立てしているのかもしれない。
 百々は、それが少し寂しい。
 その丈晴は、四屋敷の在巫女の仕事に対してよく思っておらず、同居している一子と衝突することが多かった。
 とはいえ、それで家族がどうなるわけでもなく、一子に至っては丈晴がどれほど文句を言っても苛立ちをぶつけてきても、揺らぐことがない。
 そんなところも、丈晴としては面白くないのかもしれない。
 一子が、昨夜のうちに丈晴と七恵に百々の帰宅のことを言っていれば、迎えは丈晴になっていただろう。娘の送迎は父親の役目ですと、これまで幾度となく一子に申し出ているからだ。
 つまり、一子の式神が百々を迎えに来たということは、百々の帰宅を丈晴たちに内緒にしたままか、式神が発ってから百々の帰省のことを話したということになる。どうやら今回は後者らしかった。
「どうしてお父さんやお母さんに言わなかったんだろ……って、あれ? もしかして、お客さん来てるの?」
 玄関には、丈晴のものとは違う男物の靴が置いてあった。
 そう言えば、敷地の端の方に、車が停まっていたような気がする。
 乗ってきた車を降りてまっすぐ玄関に飛び込んだ百々は、ちゃんと見ておくんだったと後悔した。
 もしかしたら、自分が呼ばれたことと関係があるかもしれないからだ。
「おばあちゃん、百々ちゃんに黙っているように、ですって。楽しそうだったから、お母さんも言わないでおくわね」
「何それ! 大おばあちゃんとお母さんばっかりずるい! てか、大おばあちゃん、絶対私をびっくりさせるのを面白がってるよね」
「きっと百々ちゃんが素直に驚いてくれるのが嬉しいのよ」
 百々の抗議にもにこにこ笑って動じない母に、いやいや、驚かされる身にもなってほしい、と百々は肩を落とした。
 変なところで茶目っ気を発揮するのだ、あの曾祖母は。
 そして、秘密が明かされて百々や周囲の人が驚くのを、にこにこと見ている。
「じゃあ、お父さんは?」
「お客様のお相手」
 一子が相手をしていないと分かり、百々はそれにも驚いた。その客と関係したことで呼ばれたのだとばかり思ったが、違うのだろうか。
 百々は、玄関からすぐに一子の部屋に向かった。廊下から、「入ります」と声をかけて、障子戸を開ける。
「おかえりなさいな、百々ちゃん」
 自室でも正座を崩さず、背筋を伸ばした姿勢で座っている一子が、百々に微笑みかけて招き入れた。
 下宿先の女主人とさほど年齢が変わらないはずなのに、一子の腰が曲がっている様子はまったく見られない。
 凛とした着物姿の一子からは、四屋敷の現当主にして在巫女の貫禄が溢れていた。
「ただいま帰りました」
「まあまあ、朝から悪かったわねえ。お入りなさいな。ちょうどね、美味しい大福があるんですよ」
 一子が直々に茶を淹れて百々に出してくれる。
 茶菓子として出された大福は市内の小さな和菓子店のもので、薄い餅皮の中にほどよい甘さの餡がたっぷり詰まった人気商品だった。
 その柔らかさは、手で持つと分かる。崩れそうだと慌てて口に入れると、あまりの柔らかさにびっくりする。周囲を気にしなければ、大きな口を開けて三口くらいで食べられてしまうだろう。
「わあ、これ、私大好き!」
「私もですよ。いただきましょうねえ」
 大好きな曾祖母にこれまた大好きな大福を勧められ、遠慮するような百々ではない。
 早速一口頬張った。
「んんんー! 美味しいよう!」
 幸せそうな百々の様子に、上品に大福に口をつけた一子も目じりを下げて慈愛のこもった視線を送る。
 その表情のまま、唐突に。
「それでね、百々ちゃん。今日は私の名代としてお出かけしてきてもらいたいのよ」
「み、名代?」
 二口目を頬張ろうとして、百々は手を止めた。
 いつも、前置きなしに本題に入ってしまうのだ、この曾祖母は。百々の心の準備など、まったく考慮してくれない。
「昨日相談を受けたんですけどね、私、これから他の神社にお呼ばれしていて動けないの。だから、百々ちゃん、あなたが行って来てちょうだい。これも修行と思って」
 そう言われてしまえば、百々には断ることができない。
 一子の跡を継ぐために、高校生活の三年間、自宅を出て下宿をし、毎日神社にも通っているのだ。
「……もしかして、この大福、その人が持ってきたの?」
「ほほほ。わざわざ予約して、今朝、特別に早く作っていただいたんですって。その出来たてを持ってきてくれたんですよ。私たち、二人とも口にしてしまいましたものねえ。お断りなんかできないでしょう?」
「大おばあちゃん、確信犯じゃん!」
 百々が抗議しても、一子は「おほほほほ」と笑うだけ、まったく相手にならない。一個目を食べ終えた百々に、一子が二個目を勧める。
「これ、日持ちしないんですよ。なのに、十個も買ってきてくださって。百々ちゃん、もう一個食べてちょうだいな」
 既に一個食べているのだ、二個食べようと三個食べようと、百々が相談事を引き受けることはもう決定事項だ。
 百々は、遠慮なく二個目に手を伸ばした。そのまま口に運んでかぶりついたとき、廊下から母の七恵の声がした。
「おばあちゃん、お連れしました」
「あらあら、入っていただいて。どうか百々ちゃんにご一緒していただきたいと、わざわざ美味しい大福を持ってきてくださったんですもの」
 ん? と思って、そのまま障子戸が開けられるのを見ていた百々は、固まった。
 見事に固まった。
 二個目の大福にかぶりついたまま。
「失礼します。おはようございます、加賀さん」
 百々を「加賀さん」と呼ぶ男性─―東雲天空(しののめ そら)警部補が、廊下に正座して控えていた。
 その東雲と目が合う。
「……う……ひゃあああああああっ!」
 ぼん! と音が出そうなほど真っ赤になった百々の口から、大福が落ちる。
 見られた、見られた、見られた、大福に意地汚くかぶりついてる姿をーっ! どうしてこのタイミング! よりによって、大福! しかも、二個目!
 一度叫んでから、今度は顔を覆って横を向き、畳に落ちた大福に気づいて大慌てで拾い上げる。
 そんな百々のパニックぶりにも、東雲の表情はまったく動かなかった。
 三十四歳のこの警部補は、生活安全課勤務である。
 初めてこの家で「百々担当」として一子から紹介され、しかも百々も東雲もその「担当」というものがどういうものなのか説明されなかったという大層大雑把な出会いだった。
 ただ、その後百々が警察の仕事にかかわるような事案に首を突っ込むことになったとき、東雲の存在は確かにありがたかった。
 身長はおそらく百九十を超えるだろうその外見は、ラグビーやアメフトをしていたのではないかと思うほど筋肉質で大柄、さらに顔のパーツも一つ一つが大きくできている。
 一子とはまた別の意味で、表情を大きく崩すほど動じることがあまりない。
 無口で生真面目、そんな印象の東雲だが、意味が分からないなりに「百々担当」という役目を受け入れ、今では百々もすっかり頼りにするようになっていた。
 その東雲が、何故朝から自宅にいるのかとか、この大福を持ってきたのが東雲だとすると相談も東雲が持ってきたのかとか、大福をくわえた女子高生ってどう見えたんだろうとか、百々の脳内は思考があちこちに飛んでまとまらない。
 一子は「おほほほ! 百々ちゃんたら! ほほほ!」とおかしそうに笑っていた。
 そして、百々は結局何も聞かされないまま、東雲の車の助手席に収まって、ドライブに出かけたのだった。

 沈黙が支配する車内で、百々は東雲をちらりと見ては窓の外を見、また視線を東雲に戻すということを繰り返していた。
 自分から話しかけて、相談事を聞けばいいのだろうか。いや、でも、相談を持ち込んだのが東雲なら、話し出すのは東雲からだろうから、もう少し待った方がいいのだろうか。
 元々口数が少ない東雲である。本人も、口下手だと言っていた。
 なので、ドライブ中に話が弾むとは最初から思っていなかったが、それにしてもこれほど何も言葉を発しないとは。
 もしかして、あの大福姿に呆れたんだろうかと、百々はだんだん悲しくなってきた。
 そのタイミングで、ようやく、本当にようやく、東雲が口を開いた。
「自分、タイミングが悪くて申し訳ありません」
「は、はい?」
 いきなり謝られて、返事をした百々の声が裏返った。
「お好きだとうかがったので」
「好き?」
「あの大福を、四屋敷さんも加賀さんもお好きだと」
「……待って待って待って! もしかして、大おばあちゃん、東雲さんにねだったの? 大福、朝っぱらから買って来いって言ったの? 信じられない!」
 一子は、甘いものが好きである。
 それにしても、相談をしてきた相手に、大福を買って来いと命令したのだとしたら、ここは百々が代わりに謝るべきだろう。
「いえ、自分が聞きました。手土産のセンスがありませんので、何がいいかと」
「いや! いやいや、そこはさ! 大おばあちゃんてば、そんなものはいりませんからって言わなきゃ駄目だよう」
「具体的に言っていただいてよかったです」
「そんな、東雲さん、こちらこそ……って、タイミング悪くてって、その……」
「召し上がっている途中にお部屋にうかがってしまい……」
「それ、呼んだのは大おばあちゃんで案内してきたのはお母さんだから! てか、忘れてください、お願い、もうかっこ悪すぎて切ない……っ」
 狭い車内、シートベルトもしている、当然逃げも隠れもできない。
 ようやく東雲の方から口を開いてくれたかと思ったらこれかと、百々はまたしても真っ赤になって頭を抱えた。
 これはもう、話題を変えるしかない。
「あの、それで、どこに向かってるんですか」
「……四屋敷さんからうかがっているものと」
 それで、さっきから何も説明しなかったんだ、東雲さん!
 大おばあちゃんから私に全部話が伝わっているって思って!
 大おばあちゃんの馬鹿ぁぁぁぁぁっ!
 心の中で、百々は高笑いをする一子を思い浮かべて叫んだ。
 車は、歩道橋の手前の信号が赤になって停まった。
 東雲が、停まったままでも前方から視線を逸らさずに軽く頭を下げた。
「すいません。加賀さんに伝わっていないと思いませんでした」
「ううう……毎回思うんだけど、東雲さん、ちっとも悪くないですよね……なんかもう、大おばあちゃんがゴーイングマイウェイな人で本当にごめんなさい。なので、教えてください。私、どこで何をしたらいいんでしょうか」
 信号が青に変わった。アクセルを踏みながら、東雲が口を開いた。
「自分の実家の近くまで行きます」