まつりの夜、ぼくたちは。 立ち読み

 
「それじゃ、記事も完成したし、さっさと提出して帰ろうぜ」
 一つ咳払いして、明るい声で告げる。先生からオッケーが出るかは謎だけど、改良版が完成したのは間違いない。早く提出してお祭りに行きたい。
 成島はぴょこんと、遠山はのそのそと立ち上がる。歩き出した二人に俺も続きながら、ふと、壁に掛けられた時計を見る。完全下校時刻の午後六時を三十分以上過ぎていた。
 閲覧机の間を通り、フリースペースのソファを横目に、貸し出しカウンターの前を過ぎる。立ち並ぶ本棚の間を抜けて図書室の扉まで来たら、仁羽の背中が見えた。
「あれ。待っててくれたの仁羽」
 違うだろうな、とは思ったけど茶化して言ってみる。「そんなわけねえだろ」と、呪い殺しそうな視線を向けてくるだろうと予想しながら。だけど、仁羽はそうしなかった。
「──開かねえんだよ」
 振り返った仁羽はそれだけ言った。
 こわばった顔をしていた。眼鏡の奥の瞳は険しいけど、いつものイライラした時とは様子が違う。焦りのようなものが浮かんでいる気がして、どきりと心臓が鳴った。
 それを打ち消すように、俺はおおげさに、「またまたぁ」と声を上げる。
「仁羽ってば、そんな冗談面白くないよ」
 笑い飛ばすと、仁羽は硬い顔のまま「ならお前がやってみろよ」と扉を指し示す。
 位置を入れ替えて、ドアノブに手をかけた。右に回し、押す。開かない。反対に回しても引いてみても、ガチャガチャと音を立てるだけで、全然開かなかった。
 成島も遠山もやってみるけど、やっぱり開かない。俺たちは黙り込む。
 一体いつ鍵を閉めたんだろう。
 俺たちがずっと作業していた閲覧机は、図書室の奥まった所にある。出入り口とかなり離れているせいで、外から鍵をかけられても全然気づかなかった。
 開かない扉へ視線を向ける。扉はクリーム色でのっぺりしていて、窓の類はないから、外の様子はわからない。ドアノブはつるりとした銀色で、内側から開けられる鍵のようなものは見当たらなかった。
「……閉じ込められたって感じ?」
 あはは、と笑いながら明るく言ってみるけど、反応はなかった。
 成島は首をかしげて扉を見ていて、遠山は大きなあくびをしている。仁羽は眉間にしわを刻んで、言葉を吐く。
「完全下校時刻なんぞ守ったことねえだろうが、あの校務員」
 春夏は六時、秋冬は五時になったら生徒を追い出して各部屋に鍵をかけるのは、基本的に校務員の仕事だ。
 ただ、うちの水上中学校の校務員──通称モトジイは雑で不真面目。その上ルーズで、時間通りに仕事をしない。生徒にとっては周知の事実なのでチャイムが鳴ってもスルーするし、完全下校時刻の六時を守ってる人間はほぼいないと思う。
「いつになく真面目だね、今日は」
 どうしたんだろう、という気持ちでつぶやく。
 いつもなら、二時間くらい過ぎてからダラダラと鍵をかけに来るのが当たり前、みたいな感じなのに。
 そうか、モトジイ、完全下校時刻の存在覚えてたのか……、と逆にしみじみしてしまった。
「クッソ。大体、中に人がいることくらい気づくだろうが普通」
 つい現実逃避したけど、強い声に我に返る。刺々しく吐き捨てたのは仁羽だ。それはもう険しい目つきで、悪態を吐いている。
 まあまあ、となだめようとしたら、別の声が答えた。
「……気づかないよ……」
 ぼんやりとしたまなざしを浮かべた遠山だった。眠そうな顔で「あの人、基本的に雑だから……人閉じ込めるの、これが初めてじゃないし……」と続ける。
 え、それってまさか。恐る恐る質問を投げる。
「遠山、閉じ込められたの、初めてじゃないの……?」
「……今年入って三回目だね……」
「まだ七月なのにすでに三回目か! 多すぎるだろ!」
 モトジイめちゃくちゃ大雑把すぎる。よく今まで問題にならなかったな。っていうか、どうするんだこの状況。
「四階じゃ窓からも出られねえし、携帯電話も通じないっていうのに」
「そうなんだよねぇ。困っちゃうなぁ」
 仁羽と成島がぼやく。
 二人の言葉通り、うちの中学の電波状況の悪さは異常で、学校全体が圏外なのだ。山中に学校が建ってるから、という理由だけじゃ片付けられないレベルで電波が入らない。
 校則で禁止されているものの、カメラとかは使えるからこっそり持ってきてるやつが多いけど、外部との接触は一切できない。どこかに連絡さえ取れれば、こんな状況すぐ終わるのに。
「こうなったのも、居残りを命じた担任のせいだろ。どうしてくれやがるんだよ」
 低い声で仁羽が唸る。全ての元凶は尾西先生にあり、という顔だ。
「完成まで毎日学校来るか残って書くかなんて、居残るしかないよねぇ。尾西せんせーのことだから絶対やらせるし」
 成島がしみじみ落とした言葉に、俺は勢いよくうなずいた。
 我らが二年一組の担任の尾西先生は、ちょっと不思議な先生だ。
 この町の出身という話だけど、誰も昔の尾西先生を覚えていないらしい。一応年齢は三十八歳だと聞いてるけど、ものすごく若く見える時と、おばあちゃんみたいに見える時がある。
 他にも水泳部顧問で嘘のように泳ぎが速い、人を追いかける時だけ足がめちゃくちゃ速くなる、自宅に広大な野菜畑を持ってる……などなど、色々伝説や噂話を持っているけど、一番有名なのは、諦めが悪いというか諦めることを知らないって話だ。
 夜遊びをして家に帰らない生徒を、一晩中追いかけ回して観念させたとか、未提出物の 王者の家までプリントを回収しに行くだとか。噂じゃなくて事実なのがオソロシイ。
「尾西せんせーはねー、ほんとに毎日提出しろって家まで来るし、電話もかけてくるんだって、遠山が言ってたよ」
 成島が笑いながら遠山を指さす。立ったまま寝そうな、未提出物の王者による実体験だ。
 ちゃんと出さないと、本気で夏休みナシにしかねないのが尾西先生だということを、俺たちはよく知っている。だから選択肢なんてあってないようなものだ。
「でもきっと、仁羽が壁新聞なんて役に立たないとか言うから、せんせー怒ったんだよ。だから居残りなんじゃないのかなぁ」
 成島が言うと、仁羽がムッとした表情で吐き捨てる。
「事実だろ。そもそも、中学生だろうと小学生だろうと壁新聞作る意味がわからねえ」

 思い出すのは、今日の真っ昼間。夏の日差しが燦々と射し込む職員室で、尾西先生は蝉にも負けないよく通る声で説教を繰り返していた。
 化粧っけのない顔、後ろで一つに結んだ髪、つりあがった目。いつも着ているポロシャツの、よくわからないロゴマーク。それをぼんやり眺めている俺の耳には、内容と方向性への駄目出しがどんどん溜まっていく。
 話題がループしかけた辺りで仁羽がしびれを切らした。一応丁寧に、それでもイラつきながら言う。
「そもそも、なぜ壁新聞を作らなければならないんですか。意味があるとは思えません。教育的な意味が存在するのなら、ぜひ教えてください。無意味です。役に立ちません」
 反骨心のみで構成された言葉を、尾西先生は黙って聞いていた。だけど、聞き終えると不意に笑った。
「完全下校時刻は六時ね」
 尾西先生はほほえみのようなものを浮かべる。その空気のまま、裁判官が判決を言い渡すみたいに、きっぱりと告げた。
「出来上がるまで学校に残って書くこと。ただし、今日はお祭りだから、六時にはちゃんと帰りなさい。まあ、それでも、時間は充分でしょう」
 晴れやかに言うけど、冗談じゃなかった。
「え、ちょっと待って先生! 今日お祭り! 俺お祭り行きたい!」
 呼び出し後に現地で合流しよう、と約束していた友人たちの顔が頭を過った俺は、慌てて食い下がる。しかし先生は容赦がない。
「なら、頑張ってさっさと書いて、行けばいいじゃない。私はお祭りの見回りに行くから、職員室に提出して帰ってね」
 にっこり笑った尾西先生に、どうにか反論を試みたけど意味はなかった。
「やらないなら、毎日学校に来て完成させること」と言い渡されて、結局俺たちは職員室から肩を落として出ていくしかなかったのだ。

「クッソ。教師の横暴だろ」
 仁羽も昼間のことを思い出したのか、舌打ちしている。よっぽど許せないらしい。
 俺だって、今日は学校帰りに直接お祭りに行っていいって許可もらってたんだけどなぁ、と思う。夏祭りの日しか、こんなこと許してもらえないのに。
 すると。
「あ! 部活やってるかも! 陸上部とかいっつも遅いし!」
 ぱん、と両手を打った成島が扉の向かいにある、南側の窓まで走っていく。
 窓の下には、本棚が設置されている。成島は自分の腰くらいの位置にある本棚の天板に手をつき、勢いよく窓を開け放った。
 むわっとした熱の塊が俺たちの所まで押し寄せる。もっとも俺はその空気の不快感より、成島のほうに気を取られていた。体が半分くらい出てるんじゃないかってほど身を乗り出しているから、落ちるんじゃないかと冷や冷やしていたのだ。
 成島の向こう、窓の外には、まだ明るさを残している空が広がっている。ただ、空の端は夜に向かっているみたいだ。全体的に光が薄まり、校庭も色を失っているように見えた。ここからだと夕日が見えなくて余計にそう感じる。
 そして校庭の向こうには、森が広がっている。隙間なく並んだ木々はずいぶんと暗く見えた。一本ずつの形はよくわからなくて、影の塊みたいだ。影絵のように、シルエットだけが連なっている。
「誰もいないねぇ」
 つぶやいた成島は、なおも身を乗り出しながらぐるりと首を動かして、特別教室棟の南側にある校庭全体を確認していた。
 その動作がやたら大きいのは、うちの学校が馬鹿みたいに広いからだ。校庭には四百メートルトラックが二つあるし、プールは五十メートル。車が五十台以上停められる駐車場だってある。大きくて悪いことはない、という発想で学校が建てられたんだと思う。
「体育館にも誰もいなそうだな。真っ暗だ。武道場も、本校舎も電気が点いていない」
 中庭や渡り廊下などを、体育館側の窓から射殺すような目つきで確認していた仁羽が告げる。
 本校舎に電気が点いていない、という言葉に嫌な汗が流れる。
 俺たちが今いる特別教室棟なら、長い長い渡り廊下を使う必要があるから、用事がない限り人が来ないのもうなずける。
 だけど、普通教室や職員室がある本校舎なら、残っている人がいてもおかしくはないのに。
 窓から体を引っ込めた成島は、淡々と言う。
「全然人がいないよ。部活もやってないし、練習してる人とか、遊んでる人とか、どこにもいないみたい。お祭り行っちゃったのかな」
 落胆している素振りも、不思議がるような響きもなく、ただ事実だけを伝える口調だった。成島は、少しだけ口をつぐんでから、ぽつりとつぶやく。
「よく聞こえるねぇ」
 その言葉に耳を澄ませば、お囃子が聞こえてくる。笛の音、太鼓、鈴の音。微かに響いて気がはやる。
 水上神社の夏祭りは、子どもはもちろん、大人も老人もみんなで騒ぐお祭りで、町に住む人のほとんどがこの日を心待ちにしていると思う。町内のお店は早仕舞いするし、仕事を休む人だってたくさんいる。俺たち学生は今日のためにお小遣いを貯めて、楽しみにずっと待っているのだ。
 石段につるされた提灯の明かりが脳裏を過る。ああ、せめて神輿が戻ってくるまでには脱出したい。それまでには神社に行かないと、クライマックスを見逃してしまう。
「クソ。帰った可能性が高いな……閉じ込めたことも知らねえで」
 仁羽が重く吐き出した言葉に、そわそわした気持ちが引っ込んだ。
 水上神社のお祭りは、テンションが上がって暴走するやつが毎年いるので、先生たち総出で見回りをしている。何度か巡回するし、早々に学校を出る必要がある。尾西先生も行ってるはずだ。
 つまり、今現在、校舎内に人がいる可能性は低くて、助けてもらえなそうなのだ。
 一体どうしたらいいんだろう。ここから出られるような、いいアイディアはないだろうか。窓を閉める成島を眺めながら頭をひねるけど、具体的な案は思いつかない。
 でも、学年トップクラスの頭脳を持つ仁羽なら、何か打開策があるかもしれない。そう思って、口を開こうとした矢先。
 突然、ふっと。図書室の電気が消えた。
「えっ!」
 思わず叫ぶ。成島も「あれっ」なんて言っているし、仁羽の肩もびくりと跳ねていた。遠山だけは微動だにしなかった。
 辺りをきょろきょろ見回すと、図書室全体が薄墨色に染まっていた。立ち並ぶ本棚や扉の横にある掲示コーナーは、くすんだ色に覆われている。
 ただ、完全な暗闇というわけでもなかった。本棚に並ぶ本の背表紙や、掲示板に貼られたポスターの『貸出期限厳守』『夏季休暇中の開館日』などの文字はちゃんと読める。
 だから、どうにか俺も冷静さを取り戻せた。今朝のホームルームを思い出す。
「──七時になったのか」
「……ああ、そっかぁ。特別教室棟の電気、切れちゃうんだっけ」
 俺の言葉に相槌を打ったのは成島だ。扉の近くにある電灯のスイッチを、何度パチパチ押しても点かないことを確認して、つぶやく。
「そういえば、ホームルームでそんなこと言ってたねぇ」
 点検とかで今日の午後七時から明日いっぱい、特別教室棟の電気が点かなくなるらしい。
 夏休みに入るし、室内の部活は明るい時間帯までだし問題はない。何より、今日はみんなお祭りに行ってしまうだろうし。
 ただ、今の俺たちには思いっきり問題だった。このままだと、暗い中でずっと過ごさなくちゃいけなくなる。電気が点いていれば、外の誰かに気づいてもらえる可能性が格段に上がるのに、それも期待できない。遠山は無言でうなずいている。同じ考えに行き着いたのかもしれない。
 だけど、仁羽だけが「はあ!? 何だそれ」とすっとんきょうな声を上げた。鋭い目で聞かれる。
「……聞いてねえぞそれ。いつ言ってた?」
「えっと……今日の朝。出席取ったあと」
 だよな、と目で確認すると二人がうなずいた。仁羽は俺の返答に数秒考え込んでいたけど、ぽつりとつぶやく。
「……騒ぎのあとか……?」
 その言葉に、今朝の出来事を思い出す。
 明日から夏休みというわけで、教室は朝から全体的にソワソワしていた。それは毎年のことだけど、今年はいつもより浮かれまくったのが二年生に数人発生していた。
 そいつらは、神輿が出発する号砲が学校まで響いてきたことで、居ても立っても居られなくなったらしい。「教室にいたんじゃ、祭りに参加できない!」「せめて音だけでも祭りの雰囲気を味わいたい!」と言って教室を脱走。神輿が通る国道まで行こうとして先生たちに捕まる、という騒ぎを起こしていた。捕まえたのは、もちろん尾西先生だ。
 先生たちは、騒動が終わって帰ってきてから朝の連絡事項で言ってたから……。
「あーそうそう、あの騒ぎのあとだ。……ってことは、仁羽が資料取りに行ってる時か」
 そういえば、尾西先生が捕獲のために教室を飛び出す前に、夏休みの資料を持ってきておくように、と前の席の数人に指示を出していた。仁羽の席は扉側の一番前だ。
 もっとも、脱走兵は意外と早く捕まったので、仁羽たちより先生のほうが先に戻ってきたんだけど。その間に伝えていた気がする。
 俺の答えに、仁羽が無表情に黙り込む。
 それから、びっくりするほど低い声で「あのババアッ」と吐き捨てた。続けて、呪いの言葉を唱え始める。あまりにも声の調子が本気だったので、どうすればいいかわからない。
 俺はしばらく戸惑っていたけど、他の二人は全く気にしていなかった。遠山は寝そうだし、成島は呑気に窓の外を見ている。
 仁羽の呪文は止まらない。途切れる気配は全然ないし、ずっと聞いていると不安になってくる。汗がじんわり浮かぶのは、電気が消えた時に空調も切れたせいか、仁羽の呪いの言葉のせいなのか。現実逃避気味に、ふと天井近くの壁時計を見た。
 気づけば周囲はずいぶん暗くなっている。窓から入ってくる、敷地内に立つ外灯の明かりで針の形をなんとか読み取ると、午後七時過ぎを指していた。
 改めて時間を確認してしまうと、落ち着かない気持ちになる。
 みんなはとっくに、お祭りに行っている。あっちで合流したメンバーで、お小遣いと相談しながら屋台を練り歩いているだろう。
 射的は何時までだっけ。せめてスコア更新に挑戦くらいはしたいのに。夜の九時には閉まっちゃうんじゃなかったかな。それまでに行かないと……。
 仁羽の呪いも、閉じ込められている状況も、頭の外へ少し追い出しかけて考え込む。だけど。
 図書室の奥から、物音がした。