花屋の倅と寺息子 柄沢悟と蓮の花 立ち読み

 

 大学二年の八月某日、俺・柄沢悟の部屋で不思議なことが起こった。
 事の発端は昨日の朝。起床するとなぜか机の上に花びらが一枚、ポツンと置かれていた。その花びらは十センチほどの大きさでうっすらピンク色に染まっていたが、なんの花びらかはわからない。
 その時は然程気にせずゴミ箱に捨てたのだが、今朝も同じように机の上にその花びらが置かれていた。しかも、今度は二枚だ。その花びらはまるで誰かがそうしたかのように綺麗に並べてある。
 窓は開けてないし、勿論寝る前にもそんな物は置かれていなかった。網戸も開いていないから風にのって入ってきたとも考えにくい。誰かが俺の机にこれを置いたとなると親父か弟しかいないのだが、親父は出張のため今週いっぱい家を空けている。となると残るは高校三年の弟になる。
 不思議に思いながらも花びらを持ったまま一階に降りて、リビングでくつろいでいる弟に尋ねた。
「おい瞑。お前、俺の部屋の机の上にこれ置いたか?」
 弟はソファーの上で寝転がりながら漫画を読んでいたが、突然差し出された俺の手の中の物を見て首を傾げた。
「何その花びら……知らないよ」
 弟はきょとんとしながら二枚の花びらを見つめる。
「その花びらがどうかしたの?」
 弟は寝転がった姿勢から起き上がり、持ち前の大きな目をパチクリとさせる。この様子だと本当に身に覚えがないようだ。
 俺は頭を?惜きながら弟に昨日のことを話した。
「知らない間にこの花びらが机の上に置いてあったんだよ。昨日の花びらはゴミ箱に捨てちまったが……今朝起きたら同じ花びらが二枚並べて置かれていた」
 そう言うと弟は「ふーん」とその花びらを手に取ってまじまじと見た。
「これ、なんの花?」
「わからん。というか、こんな花うちにあったか?」
 俺の家は寺だ。家の外には墓も十基ほどあるので外に供花として飾られることもあるし、庭にはコスモスなどの花も植えている。だが、供花も殆どが菊の花だし、こんな大きな花びらではない。母親の仏壇にも花は置いてあるが、それはつい先日買ってきたガーベラの花だ。
「とりあえず、様子見ておいたら?」
 弟にはそう言われるが、どうも引っかかる。どこかで見たことがある気がするのに、それがなかなか思い出せないのだ。
「何々? 思い出せないで悩んでるの? 兄ちゃんも歳食ったね」
 花びらを見つめて悩む俺の隣で弟がからかうように笑う。その言い草がムカつき、無言で弟の頭部をパシンと叩いた。
「いってー……本当のことじゃん」
「どうやら今日の飯はいらないようだな」
 叩かれた頭部を摩りながらぼやく弟を睨みつつ、俺は台所へと向かう。
「わー! ごめんって!」
 そんな弟の慌てた声を聞きながらも、俺はシンクに二人分の食材を並べ、朝食作りに取りかかった。
 親父が寺の住職ということもあり、仕事が忙しいものだから家事は殆ど俺が担っていた。特に今は大学も夏休みで、家のことや境内の掃除をしていたらあっという間に一日が終わる。今日も忙しなく働いているうちに例の花びらのことなんてすっかり忘れていた。
 その日の夜、ようやく落ち着いたので一休みしようと二階の自室に戻った。しかし、部屋の電気を点けてみるとまた不思議なことが起こっていた。
「瞑。こっち来い」
 思わず下にいる弟を呼ぶと、彼は「どしたの?」と駆け足で上がってきた。
「おい、見てみろよ」
 俺が自分の机を指差すと、弟も「あっ!」と目を見開いた。
 そこに置いてあったのは、今朝見たのと同じ大きなピンク色の花びらだった。しかも今回は綺麗に三枚並べてある。
 念のため窓を確認するが開いていなかった。弟の部屋にもあるかと思ったが、彼の机にはこんな物は置かれていない。
「兄ちゃん……本当に心当たりないの?」
 弟は不思議そうな表情で小首を傾げる。
「ここまでアピールしてくるってことは、兄ちゃんに何か用事があるんだよ。でも、寺の境内だから守りが強すぎて中には入れないとか……きっとそんな理由だよ」
「アピールねえ……」
 弟の言葉も一理ある。ただしそうだとすると、そのアピールをしてきているのは?生きた人間?ではない気がする。
 家が代々寺で、退魔師まがいのこともできるような家系だったからか、俺も弟も物心がついた頃から生きた人間以外……つまり、幽霊の姿を視ることができた。だから、こんな摩訶不思議な出来事にもお互い冷静でいられるのだ。それに加え、俺は霊的な守備力が高く、ある程度の幽霊を払い除けることができるらしい。それなのに、ここまで俺に存在を知らしめようとする輩は滅多にいないし、俺自身何も心当たりがないため正直戸惑っていた。
「せめて花の種類がわかればな……」
 そうぼやきながら花びらを眺めていると、隣から弟が顔を覗き込んできた。
「やっぱ、花といえば花屋さんじゃない?」
「あー……やっぱりか」
 弟の言おうとしていることはわかっていた。
 花にも詳しくて、こういった摩訶不思議なことも信じてくれる……そんな条件に適任な人物はあいつしかいない。

 翌日、早速俺は花びらを持って彼のもとへと向かった。
 絹子川市の商店街にある高爪生花店。俺がこの街に引っ越してきてからずっと通っている花屋だ。
 店の扉を開けると、扉についたベルが鳴った。
「あ、さとりん。いらっしゃーい」
 店の中に入るとエプロン姿の大学の友人、高爪統吾がカウンターで花束を作っていた。この花屋は統吾の両親が経営しており、彼もこうして店の手伝いをしている。花屋の店員にしては襟足の長い橙色の髪はとても浮いている……のだが、一年以上も通っているといい加減その髪色にも慣れてしまった。ついでに、その「さとりん」という呼び名にも。俺の名前が「悟」と書いて「サトリ」と読むものだから、間違えないようにそう呼んでいるらしい。最初は嫌がっていたが、懲りずに呼ぶものだからこっちが諦めてしまった。
「仏花、ついこの前買ったばかりなのに、うちに来るなんて珍しいね」
 統吾は花の茎をハサミで切りながら不思議そうに首を捻る。
 彼の言う通り、俺はつい先日この店に来たばかりだった。花を買い換えるには早すぎるスパンだから、彼が疑問に思うのもわかる。
「今日は訊きたいことがあって来たんだ」
 そう言いながら俺はポケットに入れていた例の花びらを統吾に手渡す。すると統吾はその花びらを見て大きく目を見開いた。
「これ……さとりんの所にもあったの?」
「俺の所にもって…お前もか?」
「うん。最初は仕事してる時にでもくっついたのかなって思ってたけど、どんどん増えていくでしょ? だから俺もちょうど相談しようと思ってたんだ」
 話を聞くと、統吾のほうでも俺と同じように、気がつけば自分の机に花びらが並べて置かれていたらしい。
 それにしても、まさか同じ現象が統吾にも起こっているとは。これでますますわからなくなってきた。
「瞑の奴は、花びらを置いた相手が俺に何か相談でもしたいんじゃないかと言うが……お前は心当たりあるか?」
 そう尋ねると統吾は困った顔をしながら首を横に振る。
「なんもないけどさ……でも、これって蓮の花びらだよね?」
「蓮?」
 思わず聞き返すと統吾は頷いた。
 言われてみるとこの大きな花びらの色も形も蓮のものに見える。この花びらに見覚えがあったのも、うちにある釈迦の絵がついた掛け軸に蓮の花が描かれてあったからか。むしろ、何度も見ているはずなのにどうしてすぐわからなかったのだろう。
 統吾のおかげで花びらの正体はわかったが、問題はどうしてこれが俺たちのもとへ置かれているのかということだ。
 花びらを見つめながら考えていると、ふと統吾が提案してきた。
「もうすぐ仕事も終わるし、霊気追ってみようか?」
「頼めるか?」
 そう訊くと統吾は二つ返事で了承してくれた。

 店の裏手にある統吾の自宅前で仕事が終わるのを待っていると、私服に着替えた統吾がバイクのヘルメットを二つ持ってやってきた。
「お待たせ。それじゃ、行こうか」
 統吾はニッと笑いながら片方のヘルメットを俺に投げると、自分のバイクを持ってくるために車庫へと向かった。
 統吾から借りたヘルメットを装着しているうちに統吾がバイクを手で押してやってくる。もうすでにヘルメットも被っており、準備万全だ。
「探ってみるからちょっと待ってね」
 統吾は自分の部屋から持ってきた蓮の花びらをぎゅっと握る。集中しているのか、統吾はピクリとも動くことはなく、暫時の沈黙が流れた。
 これが統吾のもとまで来た最大の理由だった。統吾は俺と同じように幽霊を視ることができる。そのうえ、霊気や思念の察知能力が高く、こうして霊気を探ったり、思念を手繰ったりすることも得意だ。最近は俺の親父から霊視も教えてもらったので、探知能力に関しては霊能者顔負けの実力を持っている。ただし、悪霊相手はてんでだめで、遭遇してはよく絶叫している。
 しかし、今回のように正体不明の物を探知する時は彼ほど心強い者はいない。
 やがて探り終えたのか、統吾はその大きな目をパチッと開ける。
「オッケー。じゃ、早速行くよ」
 統吾は陽気な声でそう言うと、バイクのエンジンをかけた。
「しっかり?拙まっててね」
「おう。頼んだ」
 俺が腰に手を回したことを確認すると、統吾はゆっくりとバイクを走らせる。
「といっても、近いからすぐ着くよ」
「そうなのか?」
「うん。それに……ここまでしなくても少し考えればわかったかも」
 その意味深な発言が気になったが、統吾は運転に集中するためかそれを最後に喋らなくなった。
 それに「すぐ着く」と言っていたので俺もそれ以上は詮索せず、目的地に着くのを待った。
 統吾の自宅から十五分ほどバイクを走らせると、街の神社へとたどり着く。統吾は鳥居のそばにある駐車場にバイクを停めると、ヘルメットを取った。
「ここに来るのも久しぶりだね」
 そう言いながら統吾はバイクのハンドルにヘルメットをかける。
 この神社では毎年夏祭りが執り行われる。祭り当日は出店も多く、花火も上がるので人でごった返すのだが、何もない時期の夕暮れだと、俺たちしかいないようだった。
 鳥居の後ろには拝殿前に通じる石段が続いている。統吾はそれを見上げて「行こうか」と俺を先導する。
 鳥居をくぐって長い石段を上がり、灯籠の前を横切ると狛犬がお出ましだ。奥には手水舎があり、さらに奥には拝殿が鎮座している。
 拝殿の前までやってきたが、これといって変わった様子はなかった。裏手の雑木林が風に揺れる音が聞こえるほど、この拝殿前も静かだ。
 そんな中、統吾は口元に手を当て、急に声を張り上げた。
「おーい、来たよー!」
 すると、統吾の声に反応するように突然風が吹いた。螺旋を描く風に交じってどこからか飛んできたたくさんのピンク色の花びらが舞う。その花びらに目を奪われていると瞬きをする間もないくらい急に、赤い浴衣を着たおかっぱ頭の女の子が俺たちの目の前に現れた。
「……あ」
 俺は女の子を見て思わず声をあげた。彼女のことを前に見たことがある。あれは一年前ほどの夏祭りに統吾がりんご飴をあげた子だ。こんな幼女な見た目だが、これでもここの守り神だ。
「おハスちゃん久しぶり」
「おハス?」
 統吾が呼んだ彼女の名前に俺が食いつくと、統吾は「蓮の花を操るからおハスちゃん」とあっさりと返した。守り神にそんな安直な名前をつけるとは、こいつはなかなかの怖いもの知らずだと思う。
 守り神の女の子、もとい、おハスはムスッと?茲を膨らませながら俺たちを見上げる。
「お兄ちゃんたち、遅いよ」
「わ、悪かったよ」
 結果として俺も統吾も彼女のアピールを丸二日無視し続けていた。ここまで不貞腐れるのも当然だろう。
 むくれる彼女の機嫌を取るように、統吾は彼女に「ごめんごめん」と笑いながら謝る。
「君が呼んでるってなかなか気づかなくてさ。それで、何かあったの?」
 改めて統吾が訊くとおハスは「うん」と小さく頷いた。
 キョロキョロと辺りを見回すおハスは、何かを見つけたのか、突然賽銭箱に向かって手招きした。
「いいよー。おいでー」
 すると賽銭箱の奥で小さな影が動いた。
 ─―何かの気配がする。
「な、なんだなんだ?」
 その気配を警戒した統吾が咄嗟に俺の後ろに隠れる。統吾のビビリ具合はいつものことなので、俺は気にせず気配のするほうを凝視した。
 しかし、そこから出てきた者に俺も統吾もぽかんと口を開けてしまった。
「こ、こんにちは……」
 現れたのは小学校低学年ぐらいの男の子だったからだ。その男の子の顔はとても青白く、小柄で痩せ細っていた。伸びきった髪はぼさついており、着ている服もボロボロであちらこちらに穴が空いている。
 この感じだと、この子は生きた者ではないだろう。
 そんな彼が緊張した顔つきで俺たちのことを見上げていた。
「お、お兄ちゃんたち……僕が視えるの?」
 男の子の言葉に俺も統吾も頷く。すると彼の顔に喜色が表れ、ぱっちりとしたその目を細めた。
「この子ね、迷子になってたの」
 おハスは男の子の隣に並び、じっと彼の顔を見つめる。