あとがき

 

 みなさま、こんにちは。遠藤遼と申します。ご興味をお持ちいただき、このページにお越しくださり、まことにありがとうございます。
 
 今から五年ほど前、朝方、我が家に一本の電話が鳴りました。
 家内が電話を取りましたが、私の父のことについてのようでした。その瞬間です。私の父の霊が目の前に現れたのです。電話が縁となって意識が同通したのだと思います。そのため、私は電話の内容を聞かずとも、父親が亡くなったことが分かりました。
 父はどうやら心不全で急に亡くなったようでした。母を既に亡くしてひとり暮らしだった父のことは私の家内も気にかけてくれていて、つい数日前にもお中元代わりのゼリーを送り、そのお礼の電話で私の父と家内で談笑していたと聞いていたので、驚きました。
 父自身も、我が身に何が起こったか分からず、電話の縁でやっと私の家まで辿り着き、とにかくおろおろとしていました。私は家内に「すでに父の霊が来ているからおそらく亡くなっていると思うので、そのつもりで」と告げ、家族で父の家に行く準備をしながら、心の中で父と会話としていました。家内や子供たちはそのような霊感・霊能がないので仕方がありません。私が車を運転する間は危険なので、父の霊と会話は中断しましたが。
 父の家に着くと、玄関に父の遺体が倒れていました。
 作中にも出てきますが、魂と肉体を結ぶ玉の緒、霊子線が切れていましたので、亡くなって最低二十四時間は経過しているのも分かりました。亡くなってすぐだと玉の緒が切れていないために肉体の病変が魂に影響していることもあるのですが、父の場合は肉体のコンディションとはまったく切り離されていて、父の霊を説得しやすかったのも事実です。
 父との思い出話、そしてこれで最後だからこそ伝えておかなければいけないこれまで育ててもらった感謝を伝えながら、少しずつ話をしていきました。
 
「あそこに身体があるよね。でも、親父はここにいるよね。不思議だよね」
『それが意味が分からないんだよ〜。助けてくれよ〜(泣)』
 
「もう何日も食べていないんじゃない?」
『そういえばそうかも。それはそうと、年金も下がったし、身体も具合がよくなくて、スーパーに行くのも大変でな……(以下、愚痴)』
 
「手を胸に差し込んでみて。ほら、身体を通過するでしょ」
『えええっ!? なんだこりゃ!?』
(この辺りからだんだん自分が死んだと分かりはじめて、こちらのいうことをきちんと聞いてくれるようになる)
 
「僕が言っていた通り、霊になったってことだよ」
『じゃあ、やっぱり死んじゃったのかぁ(胸に手を差し込む動作を繰り返して遊んでる)』
 
 夏場ということで遺体が少し痛んでいたので、息子としてその姿の父を人前にさらしたくなく、通夜の前に火葬させていただきました。その段階ではすでに父への説得はほとんど終わっていて、父の霊は私の家に来たときの混乱状態は嘘のように落ち着き、来世への旅立ちを受け入れていました。家内の親族にも挨拶し、それを私が伝えました。
 
『孫たち、かわいいなあ。おまえの小さいころ思い出すよ。覚えてるか、おまえが小さいころ、釜飯屋に一緒に行ったときにな(以下、楽しげに十分ほど昔語り。何となくいい場面ですが、私は葬儀打ち合わせ中。私しか話し相手がいないとはいえ、少し待っていただきたい)』
 
 葬儀では、父の霊はきちんと光の階段を上ってあの世の世界に上っていきました。私もただただ今世の親子の縁を感謝し、来世の幸福を祈ったものです。
 その後、父は三途の川を越えて一生の反省を経て天国に還ったようです。先に亡くなった母親とも会ったといっていました。お盆やお彼岸、命日あたりは我が家に遊びに来て、孫たちの顔を見に来るようですね。
『孫たち、大きくなったなあ。おまえも大変だろうけど、ちゃんと食べてるか』
 霊になっても息子がきちんと食事をとっているかを心配するのは、単純に食べ物に苦労した時代の人というだけではなく、父親の情なのかもしれません。
 
 その何年かあと、今度は家内の父、つまり義理の父が亡くなりました。このときも私が義理の父と話をして自分が死んだということをご理解いただきました。義理の母や私の家内である娘、それから孫たちへのメッセージを私に託し、義理の父も天に昇っていきました。これについてもいつかきちんと何らかの形で書き記したいと思っています。
 
 ――さて、ここまでのあとがき、果たして「遠藤遼」が書いたのでしょうか。「小笠原真備」がエッセイ風に書いたのでしょうか。みなさんはどう感じられましたか。
 
 それは置いといて。
 これらの経験が、本作のあちらこちらにちりばめられています。
 真備は自分の両親が亡くなったときに引導を渡したとちらっと書いてありますが、そのひと言の裏事情は今述べたような経験です。前作でおじいさんの霊を説得したりしているのも、ヒントはこの辺にありました。
 
 最後に。
 担当編集の長谷川様はじめ、大勢のみなさま方のご尽力あって、今回も本書を発刊することが出来ました。ありがとうございます。
 伏見おもち先生には今回も素敵なイラストを描いていただき、心から感謝申し上げます。
 また、目に見える世界にいる家族にも、目に見えない世界に行ってしまった家族にも、心からの感謝を捧げます。
 それではまた、どこかでお目にかかれますように。

遠藤 遼