花屋の倅と寺息子 柄沢 悟と滝峰村の逢魔時 立ち読み

 

 目の前に女性がいる。
 長い髪を結び、風情のある着物を着た清楚な女性だ。だが、徐に振り向いたその顔はとても淋しげな表情をしていた。
「あの」
 俺は彼女を慰めようと手を伸ばした。
 しかし、女性は背後の闇の中へと吸い込まれるようにどんどん遠ざかっていく。
 彼女を止めたくて駆け出そうとした。だが、まるで金縛りにあったように体が動かず、急に胸が苦しくなり始めた。
 意識が遠くなる。彼女の姿も暗闇に消えていく。やがて視界が真っ暗になり、俺は彼女の後ろ姿に手を伸ばしながら声を張った。
「待てよ!!」
 そこで目が覚めた。
 開いた目に突然光が入ったので俺は慌てて飛び起きた。部屋の窓からは日が差し込み、室内を明るく照らしている。見慣れた自分の部屋だ。そこには勿論女性の姿はない。
―─随分とリアルな夢だったものだ。
 夢の中の息苦しさがまだ残っている。この感覚は金縛りに悩まされていた時によく似ている。いや、あの頃よりはずっとマシか。それでもまだ頭は働かず、俺はうんと背中を伸ばし、大きく欠伸をした。

 四月。
 俺・種岡亮太が絹子川学院大学の二年生に進級してからもう半月が経とうとしている。しかし四月に入ってもすぐに講義が始まる訳ではない。入学式もあるし、講義が始まったとしても、最初はどの科目もオリエンテーションだ。要するに、俺たち大学生にとって一番怠惰な時期なのだ。
 出席も取らないのだからサボっても問題はないのだが、サボると真面目にオリエンテーションを受けている友人たちの蔑む視線が痛い。
 面倒に思ったが、俺はベッドから出て、干しっぱなしの洗濯物から適当にシャツとパーカーを取った。

 大学にたどり着いた俺は、待ち合わせの教室で合流するはずの友人たちを探す。きょろきょろと周りを見回すと橙色に髪を染めた青年がこちらを振り向いた。友人の高爪統吾だ。
「こっちこっち」
 統吾はにこにこしながら手招きする。
 俺は彼に近づき、隣に座るためにプラスチックの椅子を引いた。統吾の隣には、すでに机に置かれたレジュメを真剣に見ている柄沢悟もいる。
「おはよ」
 俺が二人に挨拶すると統吾は屈託のない笑みを浮かべながら「おはよ」と返してくれた。
 統吾とは対照的に、悟は短い黒髪を?惜きながらぶっきらぼうに「おう」と短く返した。相変わらず正反対の二人だ。
 そんな中、俺が椅子に座って早々、統吾は首を傾げながら俺の顔色をうかがってきた。
「どうしたの? 元気ないね」
「え?」
 統吾の問いかけについ気の抜けた声を返してしまった。春の暖かさもあり、未だに眠気が俺を襲っていた。
「寝不足なんだよ」
 とりあえずそう返すと統吾は「なんだ」と安心したように笑った。
「どうせまた実況動画観てたんでしょ」
「うるせ。どうせパソコンで動画しか観ないような暇人ですよ」
 統吾の指摘が図星だったので、俺は不貞腐れた。
 しかし、統吾の笑顔はすぐに消え、不思議そうに俺を見ていた。なんだか、俺の言っていることが腑に落ちてないようだ。
 確かにこの眠気と倦怠感は昨夜夜更かしして実況動画を観ていただけではない。あの夢のせいでもある。でも、これはただの夢だから気にすることはないだろう……と信じたい。
 二人に昨日の夢のことを話そうか。
 ほんの一瞬、そんな考えにもなった。どんなに摩訶不思議な夢の話であっても、いや、それがたとえ目を開けたら知らない女の子が自分の上に乗っていたというような信じがたい話でも、二人なら信じてくれると思う。
 なぜなら、この二人は幽霊が視えてしまうからだ。
 俺も最初は幽霊や心霊現象なんて信じていなかったが、この二人と関わっているうちにそんな訳にはいかなくなった。
 悟の家はお寺だ。去年の春に家族と一緒にこの街へ引っ越してきた。実家も寺で、彼の親父さんは実際にお祓いができるくらい霊感が強い人だから、彼もその遺伝子を継いでしまったらしい。
 対して統吾の家は商店街にある普通の花屋なのだが、彼もまた物心がついた時から幽霊が視えたらしい。しかし、悪霊に出くわすと足が竦み、絶叫するほどのビビりだ。その癖、心霊絡みで困っている人を放っておけない性格で、いつも厄介事に首を突っ込んで満身創痍になっている。
 悟はそんな統吾を放っておけないようで、怒りながらもよく厄介事の解決に手を貸していた。俺はひょんなことからそんな二人の秘密を知ってしまい、そのおかげでこれまで何度もおかしな事件に巻き込まれている。
 でも、流石に今回は夢の話だから二人の出る幕もないだろう。それに、なんでもかんでも幽霊のせいにするのは良くない。だから頭に引っかかりながらも、俺はあの女性の夢のことを黙っていた。

 けれども、次第にそういう訳にもいかなくなっていた。
 次の日も、そのまた次の日も俺の夢の中にあの女性が出てくるのだ。
 しかもあれだけ真っ暗だった夢の中の世界は日に日に明るくなっていき、そしてついには見知らぬ光景まで俺に見せてきた。
 墓だ。しかもかなり古いものであり、彫られている名前も墓石が欠けていて読むことができない。連日こんな風景を見せられると、あの女性が俺に何かを訴えているような気がして仕方がない。
 夢の中で女性は悲しげな顔でずっと墓を見つめている。その光景は、墓と着物を着た女性というのが相まって少し不気味に感じた。
 しかし、不思議なことに彼女は「恨めしや〜」などというような古典的な幽霊のようには見えない。それにどんなに同じ夢を繰り返し見ても、前のような金縛りやラップ音という霊障もなく、睡眠の質に変化はない。それゆえに、俺の生活に何も支障をきたさなかった。
 怖いと思わないからだろうか、講義中やアルバイトの間でも頻繁に夢の女性の姿が頭を過ってしまう。
 あの夢はなんなのだろう。というか、彼女は一体誰なのだろう。さっぱりわからないから気になってしょうがない。それに夢に出てくるあの墓だって見当もつかない。
 夢のことがずっと頭に引っかかりながらもなかなか二人には打ち明けることができず、ダラダラと日が過ぎていった。
 それでも、夢の中の女性は変わらず悲しげな表情を浮かべていた。

 いつも通り学食で飯を食っていたある日のことだ。
「……どうした、お前ら」
 悟がお茶をすすりながら、ボソッと呟いた。
「あ、悪い」
 俺は例の女性のことを考えていたので直前の会話の内容は吹っ飛んでいる。
「んで、なんだっけ?」
 平謝りしながら俺は改めて二人に顔を向けた。そしてすぐに悟の言葉の意味を把握した。統吾が好物のスタミナ丼を食べながら、じーっと俺を見つめていたからだ。あまりに凝視してくる統吾に俺も引いてしまい、訝しげな表情を浮かべてしまう。
「な、なんだよ統吾……」
 そんなに見てくるなんて気持ち悪い。と思ったら、ついには体を前に寄こして覗き込むように見てきた。
 俺が引いていることも気にせず、統吾は惚けた顔をして首を傾げた。
 しかし、彼が言った言葉に俺は肝を冷やした。
「ねえ、さとりんはこの人のこと視えないの?」
「……え?」
 そんな統吾の問いに、悟はクエスチョンマークを浮かべる。
「視える?」
 悟が顔をしかめて俺を見てくる。俺も確認するように後ろを見てみるが、言うまでもなくそこには誰もいない。
「な、何が視えるのだね統吾君……」
 訊いてはみるものの、俺の笑みは引き攣っていた。
 でも、そんな俺たちを差し置いて統吾は何か納得したように手を叩き、すぐに軽い口調で俺に言った。
「着物を着た女の人だよ」
「えぇぇぇ!?」
 統吾の発言に、俺は驚いて椅子をひっくり返しそうになった。
 統吾には夢のこともあの女性のことも話していないはずなのに、どうしてそんなことを言うのだ。もしかして夢だけではなく現実世界でも彼女が出てきたのか。
「てことは俺、取り憑かれてるってことじゃん!!」
 知りたくなかった事実に俺はパニックを起こしていた。でも統吾は「大丈夫だよー」と笑うだけだ。いつもなら幽霊なんて出てきたら「ぎゃー!」と悲鳴をあげるのに、なぜ今日のこいつはこんなに冷静なのだ。
 しかも、不思議なことがある。統吾が彼女のことが視えると話しているのに、悟が一向に口を出さない。むしろ未だに顔をしかめて俺を見てくる。
「もしかして、悟には視えてないのか?」
「ああ。視えねえ」
 悟の言葉につい驚いてしまった。てっきり二人には同じ世界が視えているものだとばかり思っていた。だが、それは俺が彼らのことをわかっていなかっただけで、統吾は?気に「そんなのしょっちゅうだよ」と言う。
「俺とさとりん、同じ霊媒体質でもタイプが違うもん」
「え、そうなのか?」
 思わず統吾の言葉に素っ頓狂な声をあげた。統吾曰く、自分は幽霊の霊気や思念にとても敏感で、それらを察知するのが得意らしい。だから幽霊や人探しはお手のもので、ビビりなのにこれまでも何度も先陣を切って俺らを誘導してくれた。
 逆に悟は霊の思念などに疎く、霊気をたどることも苦手だ。その代わり彼自身の守護霊が「鉄壁の盾」といえるほど守備力が高いので、大抵の幽霊は追い払えてしまうのだという。しかし、これは悟もよくわかっていないようで、自分のことなのに俺の隣で「へー」とやる気のない相槌を打っていた。どうやら自分の体質に一切関心を持っていないようだ。
―─待てよ。
 もしかして今、統吾が視ているのは俺じゃなく夢の中の女性なのか?
 それならば、統吾にはあの女性の正体がわかるのだろうか。
「あ、あのな統吾」
 俺は姿勢を正し、改まって統吾に尋ねる。
「その女の人って、どんな顔してるんだ?」
「うーんと、なんていうか……すっげー種岡に訴えかけてる感じ?」
 つまり、夢で見た時の女性と同じ表情なのだろう。しかしこうして姿を現しているというが、視える統吾にも彼女の声は聞こえないのだろうか。
「統吾にも何も言ってくれないのか?」
「うん、何も。というか、どうして出てきたのか俺にはわからないよ」
 統吾は「う〜ん」と腕を組みながら考え込む。いくら彼女が俺に訴えかけようとも、彼女自身が口を開かないと話が進まない。
「てか、種岡はその女の人のことを知ってるの?」
「え?」
 統吾からの不意の質問に俺は声を裏返してしまった。だが、ここまで彼女の存在がばれているなら今更惚けてもしょうがないし、何より統吾が視えるなら却って好都合だ。
「実はな……」
 決心した俺は、二人に例の夢のことを話した。

「─―夢ねえ……」
 夢のことを話し終えると、統吾は困ったように息をついた。
「種岡はその場所のことを何も知らないんでしょ?」
「ああ、まったく」
 あんな古い墓なんて知らないし、そもそも墓参りなんて行ったことがないから墓も墓場もみんな同じように見えてしまう。
 統吾が言うには、その女性が何かを俺に訴えているのは間違いないらしい。でも、統吾は霊感があるだけで霊能者ではないから、彼女が姿を現した原因まではさっぱりわからないのだと言う。
 そこまで言われると、彼女のことがますます気になる。この?気になる?という感情も、今まさに彼女が俺にそう思わせているのだと統吾は語る。しかし、流石の統吾もこれ以上のことはわからなかった。
「どこかに霊能者とかいねえかな〜」
 俺は椅子に背をもたせかけながら、ため息と一緒に言葉を吐いた。
 心当たりがないか懸命に考え込む俺たちをよそに、悟はお茶をすすっている。そんな呑気な様子の悟に恨めしげな視線を注いでいると、統吾が思い出したように手を叩いた。
「ああ、いるじゃん。霊能者……ではないかもしれないけどさ」
 そう言って、統吾は悟のほうを見る。
「さとりんのお父さん」
「……あ?」
 突然の統吾の発言に油断していた悟は眉をひそめた。
 確かに俺たちの周りで一番この類いの知識があるのは悟の親父さんだ。悟もよく彼のことを「専門家」と言っているし、その実力だって霊能者並みにあるのはあすなの一件で体感しているから、俺たちも親父さんのことを信頼していた。
「俺もなんで彼女が出てきたのか気になるし、たまには専門家の話も聞いてみようよ」
 笑いながら言う統吾とは裏腹に、悟はため息をつきながら面倒臭そうに頭を?惜いた。

 その日の夜、俺たちは久しぶりに悟の家へ足を運んだ。
 柄沢家の夕食は終わったようで、家に着いた時には、悟の弟である瞑君がソファーでくつろいでおり、袈裟から作務衣に着替えた親父さんも一人で晩酌していた。
「いらっしゃい。どうぞゆっくりしていってくださいね」
 こんな遅くにお邪魔しているのに、親父さんはその大きな目を細めながら和やかに言う。
 しかし俺の顔を見た途端、「おや?」と首を傾げた。
「なんすか……?」
 そのリアクションに、俺の表情は強張った。親父さんにしろ、統吾にしろ、一体なんだというのだ。
「あのな、親父……」
 悟は俺を指差し、これまでのことを説明しようとしてくれた。だが、親父さんはすぐに「わかってますよ」と頷いた。それは適当に言っているのではなく、本当に全てお見通しのようで、俺は少しだけ怖かった。
「三人とも、ついてきてください」
 そう言って親父さんは椅子から立ち上がり、俺たちを先導した。