古くから伝わる日本の風習の中には、仏教につながるものが多々あります。てるてる坊主もその内の一つと言えるのではないでしょうか。
てるてる坊主は、江戸時代中期に日本で作られ始めた願掛け人形になるのですが、その原型は中国の掃晴娘(そうせいじょう)という雲を掃く女性の人形でした。それが日本に来て、日照りを願う僧侶にちなんだ【てるてる坊主】へと変化したそうです。
家に居ながら、徳のある僧侶の代わりにご祈祷して貰いたい、といった願いをてるてる坊主に込めたのでしょう。
それにしても、天候まで自分の都合にあって欲しいと念願するのですから、人は欲深い生き物ですよね。
たとえば、外出を楽しみにしているときは「晴れろ」と願い、地面に種を蒔いた後などは「雨よ降れ」と願う。そんな欲を本来、欲があってはならない僧侶に頼む訳ですから、なんとも面白いものです。
ということは、てるてる坊主は人の欲を背負いながら、平安を願う僧侶ということではないか――。
そんなことを考えていたときに、本作に登場する輝沼照玄のキャラクターが頭に浮かんできました。僧侶らしさもそうですが、人間らしさを前面に出している僧侶がいても面白い……と。
ですので、名前もてるてる坊主から捩(もじ)りました。輝と照で、テルテル。そして、タイトルに【テルテル坊主】を使い、全体のシーンに雨を降らせた訳です。
全ての構想がここから生まれていったのですが、実はタイトルにはもう一つ仏教用語を入れた秘密が隠されています。【過去帳】は勿論、仏教用語ですが、【奇妙】という言葉もそういう意味で使いました。
仏教において、この【妙】という字は【優れている・すばらしい】という意味になります。戒名やお経の中に【妙】という字が多く使われているのはこのためです。ですので、本作の場合も【不思議な】という意味ではなく、【稀に優れている】という意味を込めてあります。
つまりタイトルを訳すと、【輝沼照玄の稀に優れている戒名台帳】ということになりますね。
文中にもありましたが、戒名のつけ方一つにも彼なりの考えが出ています。とらえ方は人それぞれではありますが、あれが、近年の風習に流されない本来のつけ方なのではないでしょうか。偉そうなことを言うようですが、そんな気がしてなりません。
今回のテーマが『お寺』ということもあり、執筆するにあたって私自身こうした日常の言葉や風習を掘り下げて考える機会ができました。
すると、意外に身近なところで仏教が関わっているのだということに気付かされます。そして、気付いたと同時に少しだけ物事の見方が変わったように感じました。
勿論、何かが劇的に変わった訳ではありません。ですが、そんな私がこうして一つの本を出せたのですから、ひょっとしたら物事の見方や考え方を変えたことで、仏様のお導きを受けたのかも知れませんね。
本を出すこと自体が私にとって、まさに【盲亀浮木の譬(もうきふぼくのたとえ)】の如く、有(あ)りえないほど難(むずかし)いことでした。
与えていただいた機会と、お世話になった方々。そして、お読みいただいた全ての方へ感謝いたします。
有(あ)り難(がと)うございました。
合掌。
江崎双六