平日とは言え、ターミナルとなる日暮里駅の周辺はそこそこの人出があった。成田に繋がる京成本線があるからだろう、スーツケースを引いたサラリーマンや大きなリュックを背負った外国人の姿も少なくない。
これでは探すのに難儀するかと思っていたが、松樹の姿はすぐに見つかった。ひときわ大きなオレンジ色のキャリーバッグを大変そうに引いている姿が悪目立ちしていたからだ。
今日は脚にぴったりフィットしたジーンズと、ひらひらとした白いシャツに同じくひらひらとしたベージュのコートを羽織っている。
三國のことを探しているらしく、白いリボンをつけた長い髪を振りながら辺りを見回すその姿は、服装とあいまってさながらクラゲのようだった。キャリーバッグを引きながら人の波を漂うさまをもう少し見ていたかったが、呼び出したのはこちらだと思いだして寄っていく。
「お待たせしました。お呼びだてしてすいません」
「あれ? いちご大福の人じゃない。もう一人の頭ツンツンした刑事さんが電話してきたんだけど」
その表現に、杉元がくすりと笑う。
「彼は三國と言いまして、今は聞き込みでこの辺りを回っております。それで僕からお話をお伺いすることになりまして」
「ふーん」
松樹がスーツ姿の杉元をじろじろと見やった。
「とりあえずお店でお茶でも飲みながらお話をお聞かせください」
「いいわよ。おごってくれるんでしょ?」
「え? ええ。それはまあ……」
ちゃっかりした人だなと思いながらも彼女を連れて行ったのは、駅から出てすぐ近くにある軽食喫茶だった。
「ここ、初めて来たかも。へー、こうなってたんだ」
杉元にキャリーバッグを持たせて二階へ上がると、松樹はややレトロな雰囲気を醸し出している店内をぐるりと見渡して、店員が案内するのも待たずに奥のボックス席へと腰を下ろした。
杉元は意外と重たいキャリーバッグをガラガラと鳴らしながらテーブルの脇につけて、彼女の向かいに座る。
まるでデートだ、とは思わなかった。どちらかと言えば、女主人の外出に付き合わされた従者の気分だ。
「うーん。この感じだったらナポリタンを食べてみたいけど……季節限定のも気になるわね」
楽しそうにメニューを眺める松樹を見て、杉元が苦笑する。
「お手柔らかにお願いします。僕の財布は寂しいので」
「こういうのって経費で落ちるんじゃないの? どうせだから刑事さんも好きなの頼んだら?」
そういう訳にはいかないのですと言いかけて、杉元は息を呑んだ。松樹が見ているメニューの裏に、今が旬のいちごを使ったデザートがずらりと並んでいたからだ。
いちごパフェ、いちごサンデー、そしていちご大福。
どうやら気に入ったものが見つかったらしい松樹は、メニューから目を逸らしている杉元を横目に店員を呼んだ。
「僕はブレンドでお願いします」
「え、コーヒーだけ? でも私は遠慮しないわよ? えっと、私はいちご大福と抹茶のセット。それにあんみつも単品でお願いします」
「なっ……!」
つい口から出てしまったその言葉を呑み込んだものの、遅かった。
「何? 別に高くないでしょ? だって刑事さん、いちご大福が好きだって言ってたのを思い出したから」
「い、いえ……問題ありません。その、味のほうではなく、シチュエーションとしての話ですが。いや、それもどうか……」
「何よ。いいのね? じゃ、それでお願いします」
「かしこまりました」
二人のやりとりに眉をひそめながら店員は伝票を書いて去っていく。
杉元は冷静を保とうと努めていた。知られたくない過去を持っている上、いちご大福に欲情する変態だとバレてしまっては面倒どころの騒ぎではない。ましてや、相手は食べ物専門のジャーナリストなのだ。バレたら面白おかしく書き立てられることは目に見えている。
視野に入れなければいい。そう自分に言い聞かせながら、杉元は仕事を始めることにした。
「それでは早速で恐縮ですが……今日、現場近くからこのようなものが出てきたのです」
持ってきた白い紙袋をテーブルの上に置くと、中に入っているカーキ色をした二つの紙箱を取り出して松樹に見せた。
「中身もそのままだったのですが、この紙袋を被害者が持っていたか近くで見た記憶はありますか?」
すると、松樹は頷いた。「あー、あるかも。近くってわけじゃないけど、道端に落ちてたと思う。そんぐらいのサイズだったかな。中は見なかったけど」
「……ちなみに、昨日は他に何も見ていないとおっしゃっておりましたが」
「思い出したのよ。だって不審者とか走り去る車とか言われて、意識がそっちに行っちゃってたし。嘘じゃないわ」
今のところ、松樹が虚偽の証言をする理由は見当たらない。
「分かりました。次は証言ではなく、参考意見をお伺いしたいのですが」
杉元はカーキ色の紙箱を開けて、中に入っていた最中を松樹に見せた。十個ずつ、小判形をした最中が整然と並んで箱に収まっている。
「これがどこのお店のものか分かりますか? 被害者の身元に近づけるかもしれないのですが……何しろ店名も商品名も書いておらず、困っていたというのです」
「ちょっといい?」
「どうぞ」
松樹は最中を一つ取り出して、その表と裏を繰り返し見た。ごく普通の最中だが、うっすらと焼印が押されている。蛇がのたうちまわったような、図形とも文字とも言いがたい文様だ。
だが、松樹はすぐに分かったらしい。最中を箱に戻して彼女は頷いた。
「喰屋の最中だわ」
「くいや?」
「これ、漢字なの。口へんに食べる、屋台の屋で、喰屋。銀座にある高級和菓子のお店で、予約しないと買えない最中なのよ。それも一人一箱まで。ちょうど明日寄ろうと思ってたのよね」
「はあ」
杉元はもう一度最中を出してその焼印をよく見てみた。そう言われてみると、確かに中国の金文のような書体で喰屋と書かれているのが分かる。
「ちょっと失礼します」
杉元はその場で三國に連絡をとって松樹の話を伝えた。聞き込みを済ませたら合流しようという話になり、通話を切る。
「ところで、和洋菓子本舗には行ったの?」
「ええ。ですが、どなたも被害者のことは覚えていなかったようですね。でも、今のは大きな手がかりになりましたので、身元が分かるのも時間の問題でしょう」
すると、松樹が自分に対して訝しげな視線を向けていることに気づいた。
「さっきから気になってたんだけど、どうして他人事みたいな口調なわけ? 気のせい? 全部もう一人の刑事さんに任せてるみたいだけど。助手なの? 見習いとか?」
そう映ってしまったのも仕方ない。自分自身がそうなのだから、気づかれるのも当然だと杉元は自嘲しながら笑った。
「まあ、そのようなものです。立場的にはお手伝いになるでしょうか。事件も多いですし、人手のやりくりも大変なのです」
「へえ。警察も大変なのね。じゃあ、あんたはサポート役ってこと?」
「まあ、そのようなものです。警察も色々ありますので」
「色々って何? 最近、このあたりで事件でも起きてるの? これ以外に」
松樹が紙袋を指さす。どうやら煙に巻くことはできなかったようだ。
「その通りです。テレビのニュースでも少し報道されましたが、最近、この界隈で事件が多発してまして……それで人手が足りず、僕が応援に来ているという訳なのです。捜査を指揮しているのは三國でして、逐一連絡しているという─そのような状態でした。なので、そういう言い回しになってしまったのです」
「へー、事件ねえ」
少し興味が出てきたのだろう、松樹が何か質問しようと口を開きかけたところに─店員が料理を持って現れた。彼女はコーヒーを杉元の前に、いちご大福と抹茶、それにあんみつを松樹の前に置いて去っていく。
「……!」
予期せぬタイミングで来てしまい、杉元は思わず息を呑んでしまった。
視線を逸らそうとしたが、時すでに遅し。いや、理性ではそうしようとしていたのを本能が押し止めてしまったのだ。