あやかし屋敷と手作りごはん 魔法のタイルを探して 立ち読み

 


「じゃあ早速、明日にでもそのお屋敷に行ってみるよ」
 そう告げると、ほっとした様子で勇斗が微笑む。
「ともかく、入ればどうにかなるから……多分。士信は部外者だから、いきなり皿が飛んできたりとかは、ないと思う」
「あはは。ポルターガイストまで足すなんて、さすがに盛りすぎだぞ」
「いや、うん。そうだな。士信なら大丈夫だ」
「それより腹減ったよ。冷めないうちに、食べようぜ」
 勇斗の表情がわずかに引きつったのが気になったが、士信は気にせず運ばれてきた唐揚げに箸を伸ばした。


   *****


「ええと、確かこのあたりなんだけど」
 スマホの地図と昨日勇斗から渡された手書きのメモを見比べながら、士信は住宅街をさ迷っていた。
 山手線圏内、といってもすべて同じように区画整理がなされているわけではない。
 駅周辺の商業ビル街を抜けると、景色は一変する。昔からの住宅と新しく建てられたマンションが混在する住宅街は道が入り組んでいて、番地の表記も複雑だ。
 さっきから何度も同じ場所を歩いている気がするけれど、住宅地なのに何故か人とすれ違うことがないので屋敷の場所を尋ねることもできない。
 ──入る以前に、たどり着けないんじゃないか?
 そんな考えが、頭を過る。
 単純に迷っているというよりは、意図して遠ざけられているような気もする。
 ──屋敷が人を拒否してるって、勇斗は言ってたけど。
 正直、本気になどしていなかった。困っている自分が受け入れやすいように、わざとあり得ない嘘を吐き、あくまで『困っているから住んでほしい』という演出だと士信は思っていたのだ。
 屋敷を紹介してくれた勇斗に連絡が取れればいいのだが、あいにく今日は実家に呼ばれて連絡はつかないと言われていた。
 そしてひたすら歩くこと三十分。
 明らかに同じ路地を三周していると気づいたあたりで、背筋が冷たくなる。
「受け継いだお屋敷って、本当にやばいんじゃ……」
 信心深いわけではないが、亡くなった両親からはすべてのものに魂が宿るのだと、教えられて育った。
 自分だったら、いきなり見知らぬ人間が訪ねてきたら嫌だろうなと単純に考える。
「悪いことをするつもりはありませんから、せめてご挨拶だけでもさせてください」
 藁にも縋る思いで、士信は呟く。けれど当然ながら、周囲の景色に変化はない。
「もう一度町内を回って、見つけられなかったら帰ろう」
 とぼとぼと歩き出した士信は、ふと細い路地に気づいて小首を傾げる。ついさっき通った道だけれど、先程まではこんな路地はなかったはずだ。しかしスマホのマップを確認すると、確かに路地の存在は描かれている。
「見落としてたのか」
 路地の入り口近くにある生け垣には名前も分からない赤い花が咲き誇っており、つい見惚れて立ち止まる。と、その木の根元がキラリと光った。
 屈んで拾い日にかざすと、それは虹色に輝く。
「貝殻……ガラスでもなさそうだし。七宝焼きの破片かな」
 子どもの頃、海辺で貝殻や波で洗われたガラスを拾ったことを思い出す。
 ──そういえば、綺麗な石とかたくさん拾ってお菓子の箱に集めてたな。あれ、どこにしまったんだっけ?
 そんなことを考えながら掌に収まる大きさのそれを、何気なくズボンのポケットにしまい、生け垣沿いに歩き出す。数分もかからず路地を通り抜けると、士信は目の前に広がった光景に息をのむ。
「うわっ」
 路地を抜けた先には、所謂『高級住宅』と呼ばれるような家が建ち並んでいたのだ。どの家も高い塀に囲まれており、モダンなデザイン住宅から古風な日本建築など多彩だ。
 士信自身も生まれは都内だが、ごく普通の家庭で育ったのでこんな区画に足を踏み入れたことはない。
「もしかして、防犯上の理由で地図に詳しく出なかったのか?」
 改めてスマホを確認すると、少し先に目的の建物があると赤いピンで表示されていた。やっと目的地にたどり着けると安心した士信だったが、ピンの示す場所が近づくにつれて足取りが重くなる。この長い堀は門まで続いていて、どう考えても周囲の邸宅より数倍広いのだ。
 これまでも噂で西園寺家は別格と聞いてたけれど、士信は特に気にしてなかった。というか、士信にしてみれば勇斗は仲のよい友人の一人であり、彼の親が資産家だろうがなんだろうが勇斗の人格に関係はないことだ。
 だがやっとたどり着いた屋敷の門を前にして、初めて士信は勇斗が友人達から特別視される理由を理解する。
 明らかに周囲の豪邸とは格が違うと、素人目にも分かる。屋敷を囲む白い塀は他の家の倍以上の長さがあり、外から辛うじて二階部分の窓が見える。
「すごい……」
 預かった鍵で鉄の門扉を開け中に入ると、曲がりくねった小道が奥へと続いていた。
 庭木には花が咲き誇り、ある程度の手入れはされているように見える。周囲を見回しながら歩いていくと突如として視界が開けて、問題の屋敷が姿を現した。
 ──これって、重要文化財レベルだろ。
 築百年近くと勇斗は言っていたが、建物は美しいレンガ造りで窓の一部はステンドグラスになっている。しかし外からは見えない箇所が、人が出入りできそうなほど破損していた。
 ──せっかく綺麗なステンドグラスなのに。直してないのか。
 それ以外は壊れているような場所はなく、住居として使われていると言われたら信じてしまうだろう。
 ともあれ、所有者である勇斗が『誰もいない』と言っていたのだから、その言葉を信じて士信は鍵をさす。門扉と同じく、それはあっさりと回りカチャリ、と乾いた金属音が聞こえた。
 ──屋敷の扉を開けられたら住んでいいって勇斗は言ってたけど、鍵は問題ないようだし。
 首を傾げながらドアノブに手をかけ、力を込めて手前に引く。すると特に引っかかるようなこともなく、拍子抜けするほど簡単に扉が開いた。
「ごめんください……」
 空き家と分かっていても、入る時にはなんとなく挨拶をしてしまう。
 が、当然返事などない。
 西園寺家の人々が住まなくなって大分経っているのは本当らしく、屋敷内の空気は独特の籠もったような匂いがする。
 中に入ると士信の足下から土埃が舞い上がり、ステンドグラスから差し込む光が埃に反射してきらきらと光った。
「映画のセットみたいだ」
 正面には大階段があり、中央の踊り場に玄関を見下ろすかたちで巨大な絵が飾られている。ただ残念なことに、絵の大部分は剥がれ落ちていた。
 それでも精密に作られた巨大な絵は、かなりの迫力がある。おとぎ話に出てくる洋館のようだと思わず見惚れていると、どこからともなく低い威厳のある声が響いた。
「誰だ」
 無人だと聞いていた士信は、びくりと身を竦ませてあたりを見回す。しかし人の姿はない。
「空耳? じゃないよな……」
「今一度問う、誰だ」
 声は正面から聞こえたので大階段を見上げると、絵の飾られた踊り場にいつの間にか青年と子どもが立っていた。
 人間、パニックに陥ると悲鳴を上げることなどできないのだと、士信は身をもって理解した。
 ただ目を見開いて、相手を見上げることしかできない。
 別に士信は幽霊なんて信じていないし、所謂『霊が見える』体質でもなかった。
 けれど階段の上に立つ存在が、明らかに異様だというのは分かる。
 なにせ、その姿からして、不法侵入で住み着いているとか、現実に存在する人間と明らかに違っていたのだ。
 青年は二十歳くらいで、品のよい薄緑色の和服を着ている。肩下まで伸ばした絹のような白い髪と、白磁のような肌の色。何より特徴的なのは、人形のように整った彫りの深い美しい容姿だ。
 しかしそんな現実離れした美形であるのに、とにかく顔色が悪い。
 一方、傍らに立つ子どものほうは背格好からして四歳くらいだろうか。
 こちらも青年ほど薄くはないが淡い亜麻色の髪をしており、おかっぱに切り揃えているせいかより一層人形めいた雰囲気だ。
 幼稚園の制服らしきセーラー襟のシャツに膝丈の紺色のズボンを穿いた子どもは、神妙な表情を浮かべている。
 ──びっくりした……けど、この人って本当に幽霊か? 勇斗が知らないだけで、西園寺家の親戚の人かもしれないよな。そもそもこんな昼間から、お化けって出るのか?
 驚きはしたが、青年と無言で見つめ合っているうちに現実的な考えが頭を過る。
「あ、あの。西園寺勇斗さんの紹介で来ました。神崎士信と言います」
「勇斗の紹介?」
 どうやら青年は勇斗を知っているようで、名前を出すと眉間に皺を寄せる。
 ──よかった、やっぱり親戚なんだ。だったらどうして、ここは無人だなんて嘘を言ったんだ?
 疑問は浮かぶけれど、ともかく相手がお化けではないことを確信し、ほっと息を吐く。けれどすぐ、青年の言葉に士信は困惑した。
「ここは立ち入り禁止だ。すぐに出ていけば見逃そう」
 踵を返そうとした青年に、士信は慌てて声をかける。
「待ってください。勇斗からドアを開けることができたら、住んでいいって言われているんです。俺、今月末でアパートから出なくちゃいけなくて。住む場所がないんです……」
「それはお前の事情だろう。こちらの知ったことではない」
 もっともな言葉に、士信は反論ができない。ここに勇斗がいれば何かしら口添えをしてくれるだろうが、あいにくそれは望めない。
「えっと、じゃあ日を改めてまた来ます」
「二度目はない。諦めろ」
 その言い方には妙に説得力があり、士信は今この屋敷を出たら本当に二度と入れなくなると確信する。
 ──どうしたらいいんだ。
 踵を返し階段を上がろうとする青年を引き留めようとしたその時、意外なことが起こった。
 ぐうううう。
 思わず士信と青年が、同じ方向を見つめる。視線の先には、顔を真っ赤にしてお腹を押さえる子どもの姿があった。
 玄関ホールの構造上、踊り場の音はよく響く。子どもは一生懸命体を丸めたが、お腹の音がもう一度響いた。
 余程恥ずかしいのか、項垂れてしまった子どもは今にも泣き出しそうだ。
 非現実的な雰囲気に気圧されていた士信は、その悲しげな様子を前に、一気に現実に引き戻された。
 ──お腹空いてるのか。えっと、さっきコンビニでヨーグルトとおにぎりを買ったから、それを渡して……。
 そんなことを考えながら一歩踏み出すと、青年がいくらか柔らかい声で問いかけてくる。
「──お前は料理を作れるか?」
 聞かれて、士信は一瞬戸惑う。しかしどこか切迫した空気を感じ取り、一呼吸の間を置いて頷いた。
「作れます。俺、実家暮らしの頃から台所の手伝いをしてました。一人暮らしを始めてからも、節約を兼ねて自炊をしてたんです。だから簡単な料理なら作れますよ」
 自分のためにも、そしてお腹を空かせている子どものためにも自己アピールをして青年に認めてもらわなければと、士信は捲し立てた。
「うまく作れたら、お前が屋敷に住むことを許可しよう。白雪、台所へ案内しなさい」
 ──あの子、白雪君て言うのか。それにしても何者なんだ、この人……。
 まるで屋敷の所有者のような物言いだが、今ここでそれを問うても意味はない。なによりお腹を押さえて涙目になっている子どものお腹を満たしてあげるのが先決だ。