ご縁食堂ごはんのお友 仕事中でも異世界へ 立ち読み

 


「ただいま戻りました。無事に間に合いましたので」
「サンキュー!」
 店のバックヤードへ入ると、大和は先ほど見送ってくれた青果部長に報告をしてから、手を洗って売り場へ入った。
 飾り気のないバックヤードと違い、店内は全店舗共通の色濃い木目の陳列棚と白い壁で統一されている。
 どの売り場にも派手な特売のビラや価格表の類いはなく、当日のお買い得品には、それ専用に木札が立てられており、表示のロゴもデザイン文字も小洒落ている。
 それこそ野菜売り場一つを取っても欧州の高級マルシェのようで、大和自身が買い物に入るとなったら、少し躊躇いそうだ。
 だが、毎日働く職場としては、綺麗で清潔で気分が上がる。
 特に実家が農家という大和からすれば、お洒落に陳列される野菜たちを見ているだけで、嬉しくなるのだ。
(あー、笑った。兄貴さんには申し訳ないけど、感謝だな)
 そんな環境に加えて、先ほどの衝撃事件だ。
「いらっしゃいませ」
 行き交う客にかける声も、自然に弾んだ。
「今日も元気だな、兄ちゃん」
 そうして惣菜コーナーを横切ろうとしたところで、背後から声をかけられた。
「あ、いらっしゃいませ」
 振り向くと同時に、満面の笑みで応える。
 相手はこのマンションの住民で、靖国通りで動物病院の獣医兼院長をしている中年男性・谷だった。
 見ればびっくりするほど窶れて、目の下にはクマを作っている。
「だいぶ、お疲れのようですね。もしかして、今帰りですか?」
「急患でオペが入ったんでな。まあ、峠は越えたから、こうして帰ってきたんだが」
 何気ない話をしながら、谷が幕の内弁当や大エビフライと唐揚げの弁当を、缶ビールの入った籠へ足していく。
「それは大変でしたね。でも、よかったです。患者さんが無事で。飼い主さんもホッとしたでしょうね」
「だな〜」
 まいったもんだと言いたげだが、谷は安堵の笑みを浮かべていた。
 そして、「それじゃあな」と手を振り、レジへ向かう。
(獣医さんか。言葉の通じない患者さんを診るって、本当に大変なんだろうな。僕じゃ、想像もつかないけど)
 大和は会釈で彼を見送り、持ち場の陳列棚へ向かう。
「すごい、大和。すっかり打ち解けて。谷さんって、いつもムスッとしていて、気難しい印象しかなかったのに。あんなふうに笑う人だったのね……」
 と、今度は様子を見ていたらしい、同期の女性・深森から話しかけられた。
 まっすぐに背まで伸ばした黒髪を一つに結ぶ彼女は、いつも快活でハキハキとしている。
 都会生まれの都会育ちで、「イケメンは正義!」を貫くアイドル追っかけを人生の糧にしており、大和は彼女からの頼みでよく休みを取り替える。
 チケットが取れれば、繁忙期も何のそのでコンサートへ行ってしまうが、その分普段からしっかり勤めているので、誰も何も言わない。
 むしろ大和からすれば、彼女にオンオフの切り替えの大事さを教わった。趣味や夢中になれることがあるからこそ、仕事も頑張れるという姿勢を学んだほどだ。
「気難しいというよりは仕事で疲れてるんだと思うよ。基本は交代勤務だけど、急患が入ったら駆けつけるから、シフトもあってないようなものだし」
「そっか──。それは確かに、愛想笑いも浮かばないか。あ、そろそろ時間よ。このままランチ休憩へどうぞ」
 ただ、彼女が仕事中に立ち話をしてくるなんて珍しいなと思えば、本題はこちらのようだ。
 大和は腕時計を見ながら、(もう、こんな時間だったのか)と少し驚く。
 午前中が忙しいのはいつものことだが、やはり外へ出て戻ると更に慌ただしいことになるようだ。
 それでも十二時を回ったところで、休憩に入れるのはありがたい。
「他の人は?」
「たまには外でって言っていたから、大和一人だと思う。何? 寂しいの」
「いや、そんなことはないよ」
 何の気なしに聞いたことでからかわれて、照れ笑いが出る。
「まあ、下手に誰かと一緒よりは、気を遣わなくてすむか。それじゃあ、ごゆっくり」
「ありがとう」
 大和はその足でバックヤードへ戻り、事務所に置かれたタイムカードを押した。
(たまには外か。そうしたら僕も思い切って、外ランチをしてみようかな)
 いつもは仕事で誘われない限り、仕事中の昼食夕食は食費補助が出る惣菜コーナーで見繕い、ロッカールーム兼休憩室で食べていた。
 確かに補助も魅力的だが、それ以上に──何かあったらすぐ仕事に戻れるほうがいいだろう──と、信じて疑っていなかったからだ。
 しかし、性格とはいえ、何かにつけてこうした気遣いをしていたがために、大和が周囲に「何かあったら大和に言えば」「頼めば」という発想を習慣づけてしまったことは否めない。
 よかれと思った行動が、ときには周りを横暴にしてしまう。
 人間は慣れると“狎れ”になることがあるからだ。
 今でこそ「言えば叶えてくれるのが当たり前ではない」「大和が頼まれごとを引き受けてくれたのは、あくまでも好意からであって社員としての義務ではない」「彼は当店の便利屋でも何でも屋でもない」と周囲に理解され、納得されたが──。
 それでも自分から行きすぎた行動や、いつの間にか芽生えている「ねばならない」という思い込みを変えていかなければ、また周囲の誤解を招きかねない。
(うん。そうしよう。何かあったら電話をしてもらえばいいだけだし、ものの三分もあれば戻れるんだから)
 大和はそんなことを思いながら、かけていたエプロンを外してロッカーへしまった。
 代わりに財布とスマートフォンを手にし、バックヤードにいた社員に一声かけると、颯爽と店から走り出す。
 たったこれだけのことだが、また何かが吹っ切れた気がした。
 大和は今の職場や仕事が好きだからこそ、休日だけではなく、これからは休憩時間もしっかりリフレッシュできるように心がけてみようと決めたのだった。

       * * *

 そうは言っても、もともと引きこもりがちだった大和が「外ランチ」に気を向けたのは、すでに通いの店があるからだった。
 それも、気がつけば何でも屋にされていたことに疑問を抱き、好きなはずの仕事で疲弊しきっていたところを救ってくれた、可愛くてカッコイイ恩人たちがいる異世界の飯処。
 神様の世界と人間の世界の間にあるという狭間世界の“飯の友”だ。
 最初は夢か幻かと思うような出会いであり、また行き来だった。
 しかし、今ではすっかり常連だ。
 仕事帰りに寄っていたのが、仕事前や休みにも通うようになっている。
 それがとうとう仕事中の休憩時間まで──と、なったわけだ。
(あ、でも。急に決めて来たけど、お任せ定食とかあるかな? さすがに何もないことはないだろうけど──。まあ、仮に何もなかったら、戻ってからお惣菜コーナーで買えばいいし。少なくとも行くだけで、可愛いと楽しいで気持ちはいっぱいになるはずだからな!)
 大和は店を出ると、そのまま目の前にある新宿御苑へ向かった。
 それを見ていたのか、電柱から鴉が一羽飛び立つ。
 お先にとばかりに、敷地内へ入っていく。
(今のは、烏丸さんの知り合いかな?)
 そうして旧・新宿門衛所を勢いよく通り過ぎると、大和の視界には木漏れ日が眩しい森が広がり、奥には日本家屋風の飯処が現れた。
 温かみのある木造りの引き戸にかかる暖簾には、“飯の友”の文字が書かれている。
 しかも、大和がこれらを目にした瞬間、店の中からは看板息子・未来が飛び出し、
「大ちゃん!」
 満面の笑みを浮かべて、こちらへ走ってきた。
 未来は見た目は幼稚園の年中男児ぐらいだが、頭にはよく動く耳が、そしてお尻には尻尾がついている。
 実際はニホンオオカミの子で、本来の姿は豆柴の子供のように愛らしく、また人間の子供の姿にも変化できる妖力を持つ。大和からしたら、三度も可愛く美味しい異世界の住民であり、もはやかけがえのない友達だ。
「本当だ。鴉さんの言うとおり、大ちゃんが来た!」
「伝達、早っ。こんにちは、未来くん。やっぱり僕の頭上を飛んでいった鴉さんって、烏丸さんのお仲間さんだったんだね」
 喜び勇んで飛びついてきた未来を抱っこした大和がニコリと笑う。
 いっそう耳がピコピコ、尻尾がブンブン振れるのが可愛くて、大和はそのまま未来を抱えて店へ向かって歩いた。
 当然、未来のテンションは更に上がる。
「からちゃんが会長さんをしている鳥内会は、このあたりで一番広いからね。見たことは何でも教えてくれるんだよ」
「そうなの?」
「うん! もう、みんな大ちゃんのことも知ってるし、未来たちと仲良しなのもわかってるから。すぐに“こっちへ来るよ〜”とか“さっき自転車乗ってたよ〜”とか教えてくれるんだ〜」
「そうか〜」
 未来の説明に、大和は新宿区上空を縄張りとする鳥内会の野鳥たちや、それを従える会長にして“飯の友”の接客係である烏丸の姿を思い浮かべた。
 変化時の彼は、漆黒スーツに身を包んだ二十代半ば・細身のイケメン青年で、本来の姿に戻ると普通サイズから未来を乗せられる中型サイズ、また大和を乗せて飛べるような大型サイズにまで変化ができる能力を持っている。
 とても紳士で気立てがよく、店では接客以外にも未来の妹弟で双子のベビー・永と劫の世話係をして、未来の叔父である店主・大神狼を助けていた。
(なんだか、見守られてる感が満載だな。どこにいても心強いや)
 不思議と“見張られている”という解釈にはならなかった。
 これまでにも鴉と目が合うことはあったが、嫌な気持ちになったことがなかったからだろう。
 しかも、烏丸のところの会員となれば、大和にとっても仲間同然だ。
 未来を抱えて歩く足取りさえ、軽いものに感じられる。
「それで今日は朝からお仕事の日だよって言ってたのに、お休みになったの? いっぱい遊べるの?」
「あ──、ごめんね。今はお昼休みで、ご飯を食べたら仕事に戻るんだ。本当は、今夜の仕事終わりに来るつもりだったんだけど、お昼でも一時間あれば行き来ができるかなと思ったら、試したくなっちゃって」
「そうなんだ! お試し成功したら、休み時間も来られるね!」
「でも、思いつきで来ちゃったけど、ご飯はあるかな?」 
   期待から尻尾を振っていた未来には申し訳なく思ったが、そこは今夜フォローすることにして、大和はランチのことを聞いてみた。
「あるある! 狼ちゃんはいつも何かしら作ってるから、ご飯もおかずもいっぱいあるよ!」
「わ! それは助かる」
(──って。僕みたいなのがいるから、休みなくおかずを作り続けてるんだったら、どうしよう)
 一瞬安堵するも、すぐに起こった不安から心臓をドキドキさせて、大和は扉の前で未来を下ろした。
「こんにちは」
 かけ声と同時に、引き戸を開ける。
「いらっしゃいませ。お待ちしてましたよ。大和さん」