深夜カフェくじら亭は、その名のとおり深夜のカフェだ。
営業時間は二十三時から二十八時まで。わかりやすく言うと、午後十一時から午前四時の五時間だ。場所は、「中野坂上駅」から青梅街道に沿って新宿方面へ徒歩七分のち一回左折。古い三階建てビルの地下一階にある。
東京メトロ丸ノ内線が通る、ここ「中野坂上駅」は、新宿まで最短四分で到着という利便性に加え、イベントホールや飲食店、住居を含む四棟からなる複合施設が駅前に誕生したことで、近年ではファミリー層の移住も増え、人気上昇中の街だ。
そうは言っても、賑わうのは人が行き来する時間帯だけ。曜一にしてみれば、八十歳の老人が、こんな時間までよくひとりで働くよな……と感心したり心配もしたり。そもそもチェーン店でもなく、大通りに面しているわけでもない中野坂上の個人店に、客が来ること自体が不思議だ。
それでも玄治郎から、「必要な場所だから長続きするのだ」と言われれば、そうか、と頷くしかない。
玄治郎は六十歳で新聞社を定年退職後、五年ほどフリーで記事を書き、その後は前々から憧れていたというジャズ喫茶のマスターとして腰を据えるべく、食品衛生責任者の資格を取得した。
そして新高円寺の駅前に念願の「ジャズ喫茶くじら」をオープンし、若かりしころから買い集めたレコードをずらりと並べ、美しいジャケットは壁に飾り、美味しいコーヒーを出す毎日を過ごしていた……のだが。
ジャズ喫茶で軽食を担当していた多江が、ある日風邪をひき、そのまま体調を崩してしまった。当初はまだ寝込むほどではなかったのが、不幸中の幸いだろう。
玄治郎は店を畳み、多江との時間を優先するようになった。多江に代わってキッチンに立ち、天気のいい日はおむすびを握り、お茶をポットに淹れ、多江と手を繋いで神田川沿いを散策するのが日課だったそうだ。
多江が臥せがちになったころ、母・麻里と曜一が同居し、キッチンは母の担当となり、玄治郎は多江の介護に専念した。ちなみに曜一の担当は、風呂とトイレの掃除だ。
楽しかったわ〜、ありがとね〜と歌うように別れを告げ、多江が鬼籍に入った半年後、玄治郎はこの地でカフェを構えるという人生のリスタートを切ったのだった。
キンと冷える夜風を受けながら自転車を漕ぎ、曜一は感嘆をもらした。
「ほんと、すげーなぁ……じいちゃんは」
吐く息の白さで寒さを認識しつつ、バカのひとつ覚えみたいなセリフを繰り返す。
あれだけの行動力が、バイタリティーが、コミュニケーション能力が、少しでも自分に遺伝していたら、見える景色も違うのだろうか。行きたい場所、会いたい人、やりたいこと────それらがあるだけですごいよと、人間力の差を痛感する。
家でぼんやりしていたいけど、そういうわけにいかないから、大学で「なにか」を見つけなきゃと焦っている曜一とは、根本的になにかが違う。
でも今回のバイトの一件からもわかるように、おそらく自分は要領が悪い……と思う。履歴書に書かなくてもいいようなことを敢えて添えたり、スキー場から合否の連絡が来る前に、レンタルCDショップのバイトを同期の浦山に譲ってしまったり。
でも、余計なひと言を履歴書に書いたのには理由がある。スキー以外の作業に振り分ける際の参考にしてもらえたらと思ったのだ。宿泊客の布団の上げ下ろしとか、館内清掃とか。そういうスタッフの枠も必要だよなと勝手に気を回してしまった。
浦山に「春休みだけ、俺の代わりにレンタルCDショップバイトやらない?」と持ちかけたのも、バイトのシフト希望の提出期限が迫っていたからだ。
シフト組みを待ってもらうのは店に迷惑がかかるし、系列店でバイトしたことがあると浦山が言うし。経験者なら即戦力になれるからと、一応は店側に気を遣って……。
バカ正直だと言われても、お人好しだと呆れられても、よかれと思ってしたことだ。余計なことを……と笑われても、こういう性格なのだから仕方ない。
もう少しうまく世渡りできたらいいのにと思う。思っても、うまくいかないけど。
じつは内心、足掻いているのだ。これでも。そんなふうに見えなくても。
「……はぁ」
ため息が漏れてしまった。自分のことを考えると、どうしても気が滅入る。
考えごとをしていると、道に迷う確率が高くなる。曜一はスピードを落とし、青梅街道の上にある案内標識で、方角を確認した。
「新宿方面へ直進だから、こっちで正解だ。コンビニを過ぎて、次の角を折れて二軒過ぎた左手の、一階と二階にギャラリーが入った三階建てのビル……」
ルートと目印を唱えながら足を踏みこみ、ペダルを漕いだ。
玄治郎が祖母とふたりで、新高円寺に「ジャズ喫茶くじら」を構えていたころは、ときおり母に連れられて、クリームソーダを飲みにいった。
なにせ午前十一時から夕方五時までという健全に輪をかけたような営業時間だったから、当時まだ小学生だった曜一でも気楽に立ち寄ることができたし、なにより新高円寺駅から近くて便利だった。
現在の「深夜カフェくじら亭」は、いま暮らしている家の最寄り駅にあるとはいえ、青梅街道を挟んで反対側に位置するため不便で、一度も訪ねたことはない。
そもそも、日付が変わるような時間に、身内が営業している店を覗いてみたいなどと思ったことも、そうしたい理由もないし、玄治郎のほうも、来てもらわんで結構と思っているのは薄々感じていた。
「深夜カフェくじら亭」は、深夜営業の店だけあって、祖母がいたころのアットホームな雰囲気ではないだろう。玄治郎がひとりで働く職場に身内が足を踏み入れるのは、なんとなく違うというか、双方が気を遣うだろうし、歓迎されない予感があった。
誰だって、自分だけの場所が必要だ。身内に見せる以外の顔があって当然だ。八十歳になっても外へ出て働くのは、そういう理由もあるのだろう。
家で見せる「チャラい玄治郎」のほうが、もしかしたら表面的な姿で、真の姿は「深夜カフェくじら亭」にあるんじゃないのかとすら思う。
それでも今回こうして大切な店の鍵を預けてくれたのは、あまりに情けない孫を見るに見かねたのかもしれない。
「俺……料理って、レトルト茹でるくらいしかできないけど」と消極的な曜一に、「覚えりゃいい。なにごとも経験ナシには身につかん」と、玄治郎に突き放されたのか、もしくは背中を押されたのか。
「経験ナシには身につかない……か」
店へ行くだけで経験。カウンターの中に立つだけで経験。「経験値が増えるとアイテムも増えて、バトルの勝率が高くなるぞ」────八十歳がそんなふうに喩えて笑わせるから、だったら場所だけでも見てみるよと、不安ながらも足を向けたのだ。
何度もため息をついている間に、目的の場所へ到着した。腕時計を見れば、家を出てから約三分。早すぎる。
「自転車で三分なら、じいちゃんの足で十数分か? じゅうぶん通勤圏内だな」
移動時間は文句ナシ。ビルのエレベーターの横に駐輪場があるから、有料駐輪場に預けるまでもない。
そこへ自転車を停め、ダイヤル式のチェーンで後輪をロックした。ちょうどタクシーが通り過ぎたから、手元が明るくなって助かった。ここは一方通行だが、二台の車がすれ違うほど幅があるせいか、少し先に路上駐車の白いバンも見える。
「深夜にちょっと寄って、お茶する感じなら、立地的には便利かもな」
現在、時刻は夜十時半……を数分過ぎたところ。今日から開店するわけではなく、営業時間と同じタイムテーブルで動いてみて、やれるかどうかを考えたかった。
歩道から見おろした地下は、薄暗い。営業していないのだから当然か。
「下見も経験値と換算して……ヨウイチは勇者のアイテムをひとつ手に入れた」
勇者を目指すヨウイチくんになったつもりで、両腕を広げた幅ほどの木製の階段を下りる。十段目で左に折れ、六段下りた右手にあるのが「深夜カフェくじら亭」だ。ちなみに階段の下は空きスペースで、観葉植物や花の鉢がいくつも置かれている。
ドアの前に立つと、自分の影で手元が暗い。なにげなく背後を仰ぎ見れば、煌々と輝く月……ではなく、歩道の街灯がちょうど視界に入って眩しい。ドアノブの正面にさえ立たなければ、月や街灯が鍵穴の位置を教えてくれる。
地下というからには、一見さんお断り的な閉鎖空間をイメージしていたが、全然違った。半地下の吹き抜けで、階段が折り返しているぶんだけ店がやや奥に位置しており、ほどよい隠れ家的雰囲気を醸しだしている。
歩道から下を覗いたときは木製階段で視界が遮られたのに、ここから見あげれば路上が臨めるのが、トリックのようでちょっと楽しい。
さて、と曜一は店のドアに向き直った。
「ここが、じいちゃんの『大事な店』か」
木枠のドアに磨りガラス。曜一の目線の高さにぶら下がっているのは、白文字でCLOSEDと書かれたショッププレートだ。既製品ではなく、流木を割って板にしたような形状が個性的。こんな小さなものにまで、玄治郎のこだわりが感じられる。
手を伸ばし、裏返してみた。暗くてよく見えないため、街灯の光に翳してみれば、「OPEN」の文字。添えられているくじらの線画がユニークだ。
デニムのベルトループにカラビナで引っかけたコイルのキーチェーンを引っぱり、真鍮製の鍵を鍵穴に差しこんで回した。
「ヨウイチは、フォースを使って解錠した。経験値を二十、手に入れた」
独り言を呟きながらドアを開けると、カランコロン……と、丸っこくて深みのある音が響いた。カウベルだ。電子音に慣れた世代には、タイムスリップしたような気にさせられる。
続いて「くじら亭マニュアル」に書かれていた「開店準備の手順」に従い、左の壁のスイッチをオンにする。と、壁の上の間接照明がフワッと灯り、入口付近が優しい飴色に包まれる。
このあと、マニュアルには「ドアの前の看板をコンセントに差しこむ」とあるが、今夜は営業するわけじゃないから、そこはパスだ。間違って来店されたら対応に困る。今夜は静かに、ひたすら静かに、くじら亭の偵察に徹したい。
「次は分電盤のスイッチを点ける……と」
左の壁の裏側に回りこむと、腕を高く伸ばした場所に、グレーの分電盤ボックスを発見。
押せばカチッと音がして、カバーが手前に開いた。「ホール」「キッチン」と油性ペンで書かれたスイッチを順に弾いてオンにすると、まるでマッチに火がついたかのように、あちこちで暖かい色の照明が灯った。
「おー、渋い」
文学部のくせに語彙力が低くて情けないが、第一印象は、まさにそれ。もともと少ない知識をかき集めて補足するなら、「大正浪漫」なる言葉が相応しいだろう。
濃い橙色の照明の下で、革張りの椅子やソファが飴色のツヤを帯びて光っている。実用品というより、観賞用の骨董品と呼ぶべき存在感だ。
ウォルナットと思われる床は、黒光りするほど磨きあげられ、細かな織りの布が張られた壁は、喫茶店が喫煙者の安らぎの場所だった時代を彷彿とさせるベージュ色に染まり、それが却ってこの空間の長い歴史を語り、格調を高めているように感じられる。
「なんつー渋い店で働いてるんだ、うちのじいちゃんは」
普段はアロハシャツ姿の玄治郎が、白いワイシャツに黒ベストと黒エプロンを身につけ、白髪をひとつに束ねてカウンターの中に立っている姿を想像したら、めちゃくちゃ格好いいような気がしてきた。
「いい趣味じゃん。……趣味って言ったら叱られるかもしれないけど」
微笑みつつカウンターに近づくと、高級レストランでしか見たことがないような装丁の冊子が重ねられているのに気がついた。表紙には「Menu」と箔押しされている。
「どんなものを出してんのかな、じいちゃん」
マニュアルにもレシピらしきものは載っていたが、働くと決めたわけじゃないから、そこはチェックしなかった。いかんせん「くじら亭マニュアル」は厚すぎて読む気が失せる。
でも店のメニューブックとなれば、ちょっと覗きたい欲に駆られる。
コーヒーと紅茶と酒類だけだったりして……と、興味津々で開いて見れば。
「……──────え?」
目に飛びこんできたのは、楕円の黒い鉄板のステーキ皿に盛りつけられた鮮やかな黄色い卵と、トマト色のスパゲティ。
緑のピーマンは輪になるようにスライスされ、たまねぎはしんなりとして麺に絡み、ケチャップで味つけられたスパゲティの上には、富士に降り積もる雪のように粉チーズが振られていて、そして、極めつきは────。
「この、松ぼっくりみたいな切れ目が入ったフランクフルト、まさか……」
赤いウインナーではなく、大きなフランクフルトが一本、ドンッと載っかっている写真だった。
「これ、ばあちゃんのナポリタンだ!」
……だって曜一は、ウインナーよりフランクフルトのほうが好きでしょ?
……お店では急いで中まで火を通すために、切れ目を格子状に入れるのよ。
……ほら、松ぼっくりみたいで、可愛いでしょ?
まさか、まさか、まさか! 曜一は次々にページを繰った。
焼きうどんは、ナポリタン同様に楕円の黒い鉄板で焼く。熱い鉄板の端っこには、いつもこのメニュー写真のように、黄身の表面に白い膜がないタイプの目玉焼きが載っていた。ほとんど生の黄身に麺をつけながら食べるのがまた、美味しいのだ。
オムライスは、流行のおしゃれなふわとろ卵じゃなくて、表面をぱりっと焼いた我が家スタイル。中に包むご飯は、細かく刻んだ鶏モモ肉を少し混ぜて味わいを深めた、ケチャップ味のチキンライスだ。軽く炒めた輪切りのピーマンを、フォークの先に引っかけて食べるのが楽しかった。
焼きそばは、豚肉の代わりにコンビーフの缶詰をまるごとひとつ使う。これがまた濃厚な味わいで、麺によく絡む。いまもときどき食べたくなる、他にはない味だ。
ホットケーキは、至ってシンプルに二枚重ね。表面にバターを塗ってから、さらに四角くカットしたバターを載せ、メープルシロップをたっぷりとかける。どのくらいたっぷりかというと、中に染みこむまで。口に入れた瞬間にメープルシロップがじゅわっとあふれるくらいまで。
どれもみな新高円寺のジャズ喫茶店時代に、祖母が作っていたものばかり。
……ジャズ喫茶くじらのメニューはね、玄治郎さんと私が初めてデートした喫茶店の、懐かしいメニューを再現したの──────。
「もしかしてじいちゃん、ばあちゃんの料理が恋しくて、この店を……?」
そうかもしれない。いや、きっとそうだ!
「うちのじいちゃん、可愛いとこあるじゃん」
驚きや感動を猛スピードで体験したあとに残るのは、切なく温かい懐かしさ。
「じいちゃんは毎晩ここで、ばあちゃんの思い出と過ごしてるのかもな……」
そうとわかれば親しみが湧く。わざわざ「大事な店」とプレッシャーをかけられた理由も腑に落ちた。それでもシャーロットさんに会いに行ったのは許せないが。
曜一は周囲を見回しながら、ゆっくりとホールを回った。美術館でしか見たことがないような、古伊万里……だと思う……の大皿や、高そうなステンドグラスのランプもある。小さなブロンズ像に至っては、もはや価値すらわからない。
テーブルのデザインは統一されて……いない。全部違う。長方形、正方形、楕円。珍しい六角形の表面は、漆工芸技法の螺鈿細工が施され、貝殻の発色が綺麗だ。
「大正時代にタイムスリップしたみたいだな」
新聞社勤務当時から情報に敏感で、時代の波に乗ることを躊躇しない玄治郎は、決して懐古主義者ではない。だから、これほど本格的なアンティーク趣味や骨董品収集癖があるとは思えない。
「くじら亭マニュアル」には、居抜きで譲り受けたと思しき契約書が挟まれていた。だからこの大正レトロな調度品の数々は、前のオーナーのコレクションと思われる。
前どころか、さらに前から引き継がれてきたものかもしれないが、なににせよ年代物だ。
「このダイニングセットに、どんな人たちが集まったんだろう」