ご縁食堂ごはんのお友 仕事休みは異世界へ 立ち読み

 


 狭間世界から人間界へ通じる出入り口の一つ、旧・新宿門衛所の通用口のような門を通り抜けると、大和は自身が勤める高級スーパー“自然力”新宿御苑前店へ向かった。
 一階部分の軒先にイートインスペースを設けた店舗が入る七階建てのマンションは、旧・新宿門衛所から道路を挟んだ角地に建っており、それこそ五分とかからずに行き来ができる。
 また、店から新宿御苑の大木戸門方面に十分も歩けば、大和の自宅マンション。普段なら、一度は帰宅をしてから出勤するところだ。
 しかし、今日はことがことなので、そのまま店へ向かうことにした。
 大和はマンション脇に回ると、店舗専用の通用口から、更衣室にさえ寄らずにバックヤードにある事務所へ進む。
 その間も、慌ただしく動く社員たちを目にするが、手にしているのはカスタードプリンではない。
 おそらく、今現在店頭に出せる冷蔵商品をできるだけ並べてしまうか、逆に引っ込めてしまうことで、できた空きスペースに届いたプリンを仮置きしているのだろう。
 見ただけでも、新店舗オープン前日かというような慌ただしさを感じる。
(なんか……、想像していた以上の事態?)
 これなら店から入って、乳製品などの冷蔵コーナーの状態を先に見てくればよかったと思った。
「おはようございます」
「あ、大和。おはよう」
「おはよう。早速来てくれてありがとう。ずいぶん早かったけど、家にいたの?」
 それでも大和が声を発して事務所へ入ると、デスクや金庫などが置かれた一室には、大和の同期入社で同い年の女性・深森と店長の白兼がいた。
 主に要冷蔵品の棚を担当しているのが深森なので、対策を練っていたのだろうが、これまでにない緊迫した空気を感じる。
「いえ。たまたま近所に住む友人のところに。なので、そのまま、まっすぐにここへ」
「そうか。せっかくの休日だっていうのに、本当にごめんね。あ、先にタイムカードを押して、深森に説明してもらって。着替えはそれからでもいいから。俺は、ちょっと社長に電話してくる」
「はい」
 目の前に固定電話があるにもかかわらず、慌ただしく出ていく白兼を見送りながら、大和は備えつけられたタイムカードを先に押した。
(社長にとはいえ、かなり個人的な会話になるってことかな)
 いつもならロッカールームで制服のエプロンを着けてから押すのだが、このあたりは白兼の気遣いであると同時に、すぐ仕事に入ってくれという意味だろう。
「じゃあ、深森。ロッカーへ行くから、手短に説明を頼める?」
「了解。でも、まずはものを見たほうが、状況も把握しやすいと思うわよ」
「──そう。わかった」
 深森に誘導されるまま、大和は大きな物置がそのまま冷蔵庫になっているような、プレハブ式冷蔵庫へ向かった。
 生鮮のバックヤードや鮮魚、精肉の作業場には、専用の冷凍冷蔵庫が備えられているので、ここは店内商品のストック及び仮置き用だ。
 三畳程度の広さだが、普段から深森が整理整頓に目を光らせているので、人が楽に出入りし、作業ができるようになっている。
「これよ」
「え? えええっ!」
 断熱扉を開けると同時に、冷蔵庫の出入り口を塞ぐ勢いで詰め込まれたカスタード焼きプリンのダンボール箱に、大和は思わず声を上げた。
 冷蔵庫の中がまったく見えない。
 まるでダンボールを開封したときに、びっちりと商品が詰まっている状態だ。
「聞くと見るとじゃ違うでしょう。驚くわよね。けど、通常三日に一度に、十二個入りが五箱程度届くプリンが、いきなり二百五十箱届いたときの私たちのビックリには、多分敵わないと思うわよ」
「二百五十箱? え? 五しか合ってないよ? ってことは──、プリン三千個!? そうでなくても、一個で三人分はある大きさのプリンが三千個!?」
「それも届いてから、まだ一時間も経ってないし、ここに置ききれない分は生鮮の冷蔵庫にも仮置きさせてもらっているわ。というか、誰よりも衝撃を受けていただろうさなかに、瞬時に数と冷蔵庫の容量を比較して、振り分けを指示してきた白兼店長が、やっぱりすごいわ〜。しかも、ぴったり! さすがよね」
 乾いた笑いしか浮かばない深森が扉を閉めると、二人は話を続けながらロッカールームへ移動した。
 その間も大和は、最初に彼女たちが対面しただろう、プリンの総体積を計算し、また想像している。
(一個のプリンが、約16×11×7センチの角形のアルミ容器入り。それがひと箱十二個入りだから、だいたい32×33×14センチ。で、単純にこれを二百五十個積み上げていくとしたら、僕の背丈で可能なのはせいぜい十五段程度だから、一段を4×4の十六箱として、ざっくり計算すると128×132×210センチ!! さっき会った熊さんよりデッカい!)
 いくら三畳部屋ほどの大きさがある冷蔵庫とはいえ、中にはもとから入っていた商品で七割は占められている。
 そこへ突然──となれば、確かに一時的にだとしても、詰め込んだらパンパンになるだろう。
 しかし、こうなると問題は売り場のほうだ。
 小出しにするのか、冷蔵品用の棚の大半をプリンで埋めるのか?
 それにしたって限界はある。
 同じ誤発注でも、常温保存の品なら、まだよかっただろうに──。
(でも、今夜のうちに少しでも他店舗へ振り分けられれば、どうにかなる数か?)
 大和は、まだやりようはある! と、ロッカーの扉に手をかけた。
「あ、ちなみにあれが配送されたのは全店舗。各店舗ごとに三千個だからね」
 そこへ深森がふふっと笑いながら、絶望的なことを言い放つ。
「はっ!? 全店……? ってことは、誤発注って白兼店長が──じゃなくて。白兼専務がしちゃったってことだったの?」
 ここへきて、大和は白兼の発注権が他の店長たちとは違うことを思い出した。
 別に忘れていたわけではないが、勝手に誤発注がされたのは、うちだけだと思い込んでいたからだ。
「そういうことかな。まあ、おかげで今現在、?自然力?は全店舗でプリンフィーバー中。消費期限があるから、店頭に出せてもせいぜい明後日までだし。かといって、いきなり今から全店舗で大安売りじゃ、すでに今日買ってしまったお客様に申し訳がない。だから今日は準備万端整えて、閉店時間まで店内でお客様に告知宣伝。明日一気に片づけるつもりで勝負しようっていうのが、紫藤社長の即決指令よ」
 どうりで白兼が、大和にまで電話をしてきたわけだった。
 今現在、何がどう進んでいるのかさっぱりわからないが、すでに戦いは始まっていたのだ。
「……紫藤社長直々の指令か。まあ、こればかりは、さすがに白兼店長も社長に決定を求めるよね。今の自分に冷静な判断ができるとは思わないだろうし。普段から、過信はしない人だから」
「うん。それでも社長は、“やらかしたのが、お前でよかった。これが一社員だったら、逆にアフターフォローに困るところだ”って笑ったそうよ。ただ、店長からしたら“馬鹿野郎! お前がそんなんでどうする!! 示しがつかないだろう”って怒鳴られたほうが、まだ生きた心地がするって言ってたわ。本当、いっそ体調が悪くてのミスだったほうが、どれほどよかったか──って」
 それにしたって、ここまでくると、笑いながら説明するしかない深森と気持ちは同じだったのだろう。
 ことが大きすぎて、そうとしか言いようがなかっただろう社長・紫藤の気持ちが、想像できる。
 むしろ、最初にこの事態を知ったときに、彼ならやはり大和と同じ発想になったのではないかと思えたので、尚更だ。
「でも、社長のことだから、白兼店長の体調不良とかが原因じゃなかったからこそ、笑って頑張ろうになっただけじゃないかな? あとは、いつも白兼店長がしっかりしすぎていて、隙がないから。こういううっかりミスもするんだって、ちょっと安心したとか」
 大和は下ろしたリュックをロッカーにしまうと、代わりに店のロゴが入った明るいグリーンのエプロンを身に着ける。
 これこそが大和にとっては戦闘服だ。
「かもね」
 大和の勢いにあてられたのか、深森も後ろで一つ結びにしていた長い黒髪をキュッと縛り直した。
 そうして「よし」と勢いづけて、ロッカールームを出たときだ。
「深森! あ、大和も来てくれたのか!」
 いつにも増して大股でドカドカ歩いてきた副店長・海堂が足早に寄ってきた。
 学生時代から空手をやっているという彼は、それこそ先ほど出会った熊にも負けず劣らずの筋肉質な体型で、性格も熱血体育会系。
 だが、三十半ばの妻子持ちで、家ではまだ小さい子供たちにデロデロなパパらしい。
「はい。おはようございます」
「わ! 海堂さん。なんか、いきなり張り切ってません?」
 深森が聞くと、海堂がいきなりズボンの後ろポケットから、スマートフォンを取り出した。
 普段ならロッカーに入れることが決められているが、今はそれどころではないのだろう。
 この分だと、店長同士での情報交換もされていそうだ。
「そりゃ、白兼店長の一大事だからな。まずはうちで完売しなかったら、男が廃るだろう。ってか、こんなことでもなかったら、日頃からの恩返しができない。何より、今さっき社長直々に?悪いができる限り頼む。俺も明日は本店に立つから、全員で力を合わせて乗り切ってくれ?っていうお願いメールが各店舗の頭に届いてだな。俺たちはもはや、我が殿に先鋒を任された戦国武将さながらよ!」
 何やら普段以上に熱くなっている海堂が、そう言ってスマートフォンの画面にメールを出してきた。
 するとそこには、確かに社長から白兼には黙って送られただろう一斉メールがあった。
 これには大和も、自然と胸が熱くなる。
 確かに今回は自分の片腕である白兼のミスだが、紫藤はこれが誰のミスであっても、同じ対応をする男だろうと、大和は思っていた。
 ミスを責めるよりまず先に、自ら解決に動く社長だと。
 ただ、そうは信じていても、実際にそれを目の当たりにすると、気持ちが違った。
 こんなに感動かつ、高揚するのだと我が身で知ったのだ。
「社長自ら店頭に立つんだ! そりゃ、張り切るしかないか。そうでなくても、今の幹部や店長クラスは、?自然力?立ち上げからのオープニングスタッフだし。中には、紫藤社長や白兼店長を追いかけて転職してきた、幹部もいるって聞くしね」
 どうやら深森も気持ちは同じようだ。
 気合を入れ直したところへ、更にやる気が増しているのがわかる。
「でも、それだと明日の本店は、麻布のセレブマダムと女子中高生が溢れて、かえって大変なことになるかもね」
 こんなことを言っている場合ではないとわかっているのに、大和の口からは不思議なほど冗談めいた言葉が気負いなく出てきた。
 すると、これに深森が続き、海堂が続いた。
「それを言ったらうちだってそうじゃない? 店長がレジに入ったとたんに、会計が終わって帰りかけていたマダムたちが、いっせいに買い忘れを口にしながら、レジへ並び直すんだから」
「大変だ! そしたら、プリンが足りなくなるかもな!」
 そして、こんな三人の熱のこもった盛り上がりは、十分もしないうちに店内の社員とバイトやパートたちにも広がっていった。

       * * *

 翌日、月曜日。
 文字どおり、山ほど積まれたカスタード焼きプリンは、開店と同時に通常価格の三割引き、一個税込七百円、三個セットだと更にお得な税込二千円で販売がスタートされた。
 前日の夕方から各店舗で特売の告知をし、またホームページやSNSなどでも案内をしまくり、なおかつ従業員も個々で口コミをした。
 とはいえ、各店舗に三千個は伊達ではなかった。
 そもそも一人の買い上げ単価がそれなりにあるとはいえ、一日の来客平均だけで見るなら、千人前後の中型店舗だ。
 来客も平日となると、千人に届かないことのほうが多く、仮に一人が三個セットを購入してくれても、売り切れるとは限らない状態だ。
 その上、このプリンは一個がすでに三人前ある。
 賞味期限を考えたときに、よほどのプリン好きか家族が多いか、もしくは友人知人に配るでもない限り、三個セットを買うのは勇気がいるだろう。
 ましてや、品がいいとは言っても、庶民価格とは言いがたい。
 少なくとも大和は、もらって食べたことはあるが、買っては食べたことがない品だ。
 同じ値段を出すなら、ケーキを買ってしまいそうな、なんとも自分にとっては微妙な贅沢品なのだ。
 ただ、この大和の感覚とは真逆なところに、白兼の危惧はあった。
 そもそも?自然力?は、高級スーパーだ。
 初号本店が麻布の住宅街にあるような店なので、普段から「大特価」やら「赤字覚悟」といった投げ売りみたいなものとは縁がない。
 当然、そうしたことを求めて買いに来る客層でもなく、近所の女子高生、中学生が立ち寄るにしても、惣菜コーナーで買った軽食をイートインスペースで味わいつつ、同時にお洒落やインスタ映えするブランド感を楽しんでいるような店なのだ。
 そうなると、これまでに作り上げてきた店のイメージやら信頼やらを裏切ることなく、いかにしてお洒落なマルシェでお値打ち価格なプリンを買っていただくかということに、とにもかくにも頭を捻ることになる。
 ようは、SNSなどでたまに見る「誤発注してしまいました。助けてください!」と泣きつく的な方法は、看板に傷をつけかねないのでできない。
 もっとも、それを説明する前に、すでにアルバイトたちが大盛り上がりで拡散希望してくれてしまったが……。
 それでも初見のお客様を含めて迎える店側、白兼としては、普段どおりの小洒落た雰囲気と品格だけは、絶対に守りたかったのだ。
(なんか──、今朝までバナナの叩き売りみたいなのを想像してたんだけど。雰囲気が、クリスマスイブくらいな感じの程よい賑わいだ。けど、過去の販売数を熟知していて、余らせることなくチキンを売るのと、何でもない日の三千個プリンとでは、重圧が違いすぎる。今にも、お願い買って! って叫びたくなるのは、きっと僕だけじゃないはず!)
 それでも、自ら築き上げてきた店のブランドイメージを守ることに徹する白兼の根性と執念は、凄まじいものがあった。