一
夏も盛りを過ぎ、吹く風に時折、秋を感じさせる時季がやってきた。
窓から見える山の木々も、夏の濃い緑から徐々に柔らかな色へと変わりつつある。
京都市から離れた場所にある、とある山の麓よりはやや上、中腹よりはやや下という微妙な位置にぽつんとある食事処「加ノ屋」。
その加ノ屋の店主である加ノ原秀尚は、窓の外の様子を見つめながら、店の二階にある住居スペースで起きている騒動から現実逃避をしていた。
「だーかーらー! あきのけーきは、くり!」
「ちがうって! おいもさんだよ!」
「どっちもすきだけど、かぼちゃのぱいもたべたい!」
部屋中に響く子供たちのスイーツ談義は現在紛糾していた。
内容は来月の子供たちの誕生日ケーキについて、である。
とはいえ、加ノ屋の二階に現在集合している子供たちは人間ではない。姿はどの子も愛らしいことこの上ないと秀尚は思っているし、実際メチャクチャ可愛い。そのメチャクチャ可愛い容姿に、頭にはふわっふわの獣耳、そしてお尻には尻尾が生えていた。
彼らは、将来稲荷神──正確には稲荷神の神使だが──候補の子供たちなのだ。
本来の姿は狐なのだが、神使になる素質を秘めている彼らは人の姿を取ることができる。
とはいえ、子供である彼らはまだ術も力も未熟で、耳と尻尾をしまうことはできないし、化け方も日によってムラがある。
人の姿になっているのに、手足だけ狐のままだったりすることもあるし、顔だけ狐のままになっていることもある。
そして、中にはまだ人の姿にはなれないのだが人の言葉を話す子もいて、なかなかにカオス……いや、ファンタジックな光景である。
そんなファンタジックな彼らには「誕生日」というものが存在しない。
彼らの親はみんな普通の狐で、たまたま能力を持って生まれてしまったため、現在親元を離れ、「あわいの地」と呼ばれる人の世界と神の世界の中間に位置する空間にある、「萌芽の館」で育てられているのだ。
普通の狐から生まれた彼らが「誕生日」を知らなくても無理はない。そもそも、親狐が暦をさほど気にしない──ざっくりと季節の移り変わりは意識しているだろうが──からだ。
そのため、「誕生日パーティー」や「バースデーケーキ」といったものがあることを知った彼らは、自分たちの「誕生日」が分からないことにいたく衝撃を受けた。
そして、何名かは泣いた。
というか、号泣した。それが連鎖して子供たち全員の号泣大会になるのを察した秀尚は、
「どうせ誕生日が分かんないなら、自由に決めていいと思うんだよね」
と、子供たち全員の誕生日を決めた。
その決め方は籤だった。毎月誕生日があると準備をする秀尚が面倒だという理由で、偶数月の第三火曜を誕生日と決めて籤を作り、引かせたのだ。
もちろんこの決め方だと毎年誕生「日」は変わるのだが、子供たちにとっては「誕生日パーティーをして、ケーキを食べる」が目当てなので、特に問題はなかった。
こうして決められた一ヶ月おきの誕生日のケーキを何にするか決めることになったのだが、子供たちにはいろいろ食べたいケーキがあって、それで揉めているのだ。
──いろんなもの、食べさせすぎたよなぁ……。
秀尚は、ちょっと反省する。
子供たちと会ったのは少し前のこと。秀尚がまだホテルのメインダイニングで料理人として働いていた頃だ。
職場でトラブルがあり、気晴らしに今の加ノ屋があるこの山の頂上付近の神社に参拝する途中、秀尚は遭難して意識を失い、目が覚めたらあわいの地にある萌芽の館にいたのだ。
そこで元の世界に戻るまでの間、子供たちに料理を作っていた。それが縁で、無事に人界へ戻った今も、子供たちに食事を作って届け、加ノ屋が休みの日には子供たちが遊びに来るという状況になっているのだ。
とにかく子供たちにおいしいものを食べさせてやりたいという気持ちと、喜ぶ姿を見るのが嬉しいのとで、いろいろな料理を作ってきたわけだが、その結果、見事なまでに子供たちの食への興味が増すという事態になっている。
「おいもがいい!」
「だめ! ぜーったい、くり!」
「……はたえは、かぼちゃがいい……」
堂々巡りの主張をしあうのは籤で十月の誕生日を引いた十重と二十重──この二人は双子の姉妹なので誕生日が別では都合が悪いから、二人で一枚籤を引いて決めた──、そして、まだ人の姿にはなることができない稀永だ。
その三人には、それぞれが主張するケーキを食べたい他の子供たちがサポーターとしてつき、同じように食べたいものを主張して、かしましいことこの上ない。
正直こんな時、加ノ屋が山の中にあってよかったなと秀尚は思う。
近くに民家があれば、子供たちの声のうるささに苦情の一つも言われるだろうし、独身男子一人で切り盛りしている店なのに、どうして大人数の子供の声が? と疑われること必至だからだ。
──そろそろ事態を収拾しないといけないかな……。
秀尚がそう思った時、
「さて、食べたいケーキの候補は出揃ったようだな」
子供たちにそう声をかけたのは六尾の稲荷神の陽炎だ。
細身でぱっと見は儚げにも見える色素の薄い美形男子の陽炎だが、中身は儚さとは程遠く、いたずら好きで、楽しいことにはとにかく首を突っ込み、事態を大きくしてしまう特技を持っていることでお馴染みだ。普段、あわいの地の警備を担当している彼だが、今日は非番で子供たちと一緒に遊びに来ていた。
「かぎろいさま!」
「かぎろいさまは、どのけーきがすきですか?」
「おいもさんだよね!」
子供たちは陽炎を味方につけようと一斉に言い募った。
その言葉に陽炎は腕を組み、
「そうだなぁ……秋はうまいものが多い。栗やイモ、かぼちゃはもちろんだが、柿もうまいし、ブドウもだな。それにキノコ狩りも楽しみだ」
新たな食材を追加する。それに子供たちの目が輝き始めた。
「あまーいかき、だいすき!」
「ぶどうもー」
「きのこのはいったごはん、だいすきです!」
なんで、さらに子供たちを煽ることを言ってるんだと秀尚は内心で思う。何しろ陽炎は不用意な発言で騒ぎを大きくしたことが過去に何度かある。
一番記憶に新しいのは夏祭りで、人間界の出店の楽しさを伝えたばかりに、子供たちのためにあわいの地で祭りを開催することになったほどだ。
もちろん、楽しんだのは子供たちだけではなく、他の大人稲荷たちもだし、秀尚も出店側だったものの、久しぶりに祭りの楽しさを味わえたわけだが、陽炎の不用意な発言がなければせずにすんだ苦労もあるので、つい身構えてしまう。
だが、陽炎は、
「だから三つのうちのどれか、と言われても俺には選ぶことはできない。冬雪殿もそうだろう?」
そう言って、もう一人、遊びに来ていた冬雪という大人稲荷に話を振った。
冬雪は陽炎と同じくあわいの地の警備に当たっている、やはり六尾の稲荷だ。
一八〇を越える長身で、体形もとにかく「ひょろい」陽炎とは違って、筋肉がちゃんとつきながらもすっとして見える──のだが、本人は最近太ったと言って、少し気にしている。
「そうだねぇ、確かに秋はおいしいものがいっぱいあるから、どれも魅力的で一つに絞るのは難しい話だね」
冬雪も陽炎の意見に同意して微笑を浮かべながら言った。
その発言内容はまったく普通なのに、冬雪が言うと、なぜか妙に艶っぽく聞こえるのが不思議だ。
ついでに言えば老若男女に対して気遣いができ、モテること間違いなさそうな冬雪を、秀尚はこっそり「前世がホスト」だと思っている。
冬雪の言葉に陽炎は頷いてから、秀尚を見て、
「というわけで、加ノ原殿。次回の主役の三人の希望を叶えられる一品を考案するのは、難しい話かい?」
ストレートにブン投げてきた。
──やっぱりこっちに振ってくるんだ……。
そうは思ったが、子供たちの料理を作るのは秀尚だ。どのケーキに決まっても作るのに変わりはない。
「うーん……、さつまいもと栗とかぼちゃだったら、パイにするのが一番おいしいかな」
秀尚が言うと、
「ぱい、だいすき!」
かぼちゃパイを推していた二十重が嬉しそうに言い、稀永も特に異存はない様子だ。だが、十重は眉根を少し寄せた。
「でも、ぱいだったら、なまくりーむがたべられない……」
十重は生クリームが大好きで、時々おやつに出すパンケーキでも、生クリームは少し多めとリクエストしてくる。
だから、生クリームを使った普通のスポンジケーキがいいのだろう。
「パイに生クリーム添えようか? パンケーキみたいに。それじゃだめ?」
「それなら、だいじょうぶ。くりもちゃんといれてくれる?」
栗は絶対に譲歩しない、とばかりに十重は確認してくる。
「入れるよ。そうだね、かぼちゃとさつまいもはペーストにして、そこに荒く砕いた栗の甘露煮を入れようか。それをパイにして、焼き上がった熱々のパイに生クリームを添えてもいいし、リクエストによってはアイスクリームでもいいし」
秀尚の説明に子供たちは頭の中で「栗とさつまいもとかぼちゃのパイ、生クリームかアイスクリームを添えて」を想像し、うっとりとした顔になる。
「ぼくは、なまくりーむがいいです」
「ぼくはあいす!」
「ぼくもあいす!」
「俺は、うーん、ここは手堅く生クリームか……」
「じゃあ、僕はアイスクリームにするよ。陽炎殿、半分こしないかい?」
子供たちと同じように、陽炎と冬雪も言う。
──あー、きっちり参加するつもりなんだ、この人たちも……。
大体予想はついていたというか、子供たちの誕生日会の後は、毎夜、加ノ屋の閉店後に厨房で開かれる大人稲荷のための居酒屋で、その日に出した料理やケーキをふるまっている。
ただ、当日の会に参加するかどうかだけの違いではあるのだが、二人の様子からすると会の参加を検討しているようだ。
そして二人の「半分こ」という言葉を聞いて、他の子供たちも生クリームとアイスクリームを半分こし合ったほうが両方食べられるということに気づき、半分こ仲間を募り合う。
結局全員が──赤ちゃん狐の寿々は意思表示が難しいので、寿々のお世話役をしている萌黄という子供が決めた──半分こすることになったので、当日は全員に生クリームとアイスクリームを盛ることになった。
「じゃあ、これで誕生日のケーキは決まり。よかったね」
秀尚がそう言って話をシメると子供たちも頷いた。その様子に安堵していると、突然、どこからともなく、サイズ的にはスズメくらいだが、エメラルドグリーンからローズレッドへの色の移り変わりが非常に美しい、どう考えても南国にしか住んでいなそうな鳥が現れた。
「お?」
即座に反応した陽炎が指先を出すと、その鳥はそこに止まった。
鳥の脚にはこよりのようなものが巻きつけられていて、陽炎がそれにふっと息を吹きかけると途端に解け、細長い短冊のような紙に変化した。
内容までは秀尚には分からないが、文字らしきものが書かれているのは見えたので、手紙だろう。
──伝書鳩、みたいなものかな。派手だけど……。
秀尚がそんなことを思っていると、内容に目を通していた陽炎の表情が曇り、そしてその短冊を冬雪へと差し出す。そして、それに目を通した冬雪の表情も微妙なものになった。
「冬雪殿、どう思う?」
陽炎に意見を求められ、冬雪は微妙な表情のまま、
「まあ、お世話になったのは確かだし……、相手が相手だからねぇ」
と返す。陽炎は仕方ないといった様子で頷いた後、
「加ノ原殿、すまんが裏庭を借りていいか」
と聞いてきた。
「変なことに使わないでくださいよ」
大丈夫だとは思うが、聞いてきたのが陽炎なので念を押すようにして言うと、
「稲荷を出迎えるための場を作るだけだから、安心してくれ」
と、陽炎は返してきた。
「え? 店の戸ってそっちの世界と繋がってるんですよね? そこ使って来てもらえばよくないですか?」
秀尚は首を傾げて問う。
加ノ屋の店の戸はもちろん普通の客が出入りするためのものなのだが、陽炎たちのような稲荷たちが出入りするための「時空の扉」になっている。
ちなみに、子供たちが普段暮らしている萌芽の館と繋がっているのは、この部屋の押し入れの襖で、子供たちはそこから出入りしている。
「いや、それだとちょっと問題がな……」
奥歯にものが挟まったような言い方が多少気にかかったが、とんでもないことなら多分冬雪が止めているだろうし、裏庭なら多少何か起きてもいいか、と秀尚は承諾した。
とはいえ、何が起きるのか見届けたほうがいいので、裏庭に移動する陽炎と冬雪に秀尚もついていくことにした。そうなると子供たちも当然のようについてきたので、結局全員で裏庭に集合することになった。
陽炎が一瞬手のひらを振ると、どこからともなく一本の棒が現れ、それで地面に魔法陣を描き始めた。
「さて、と……お出ましを待つか」
そう言って一歩下がる。
それからものの数秒で魔法陣に描かれた呪文が光り、それらが空中へと浮かび上がっていくつもの光の玉になると、円陣の大きさの円柱を作り上げた。
だがそれは一瞬のことで、次の瞬間、深紅の薔薇の花弁が円陣の中央から噴出するように振り撒かれ、それと同時に一人の稲荷が現れた。
「あ、あれ……」
それは秀尚も会ったことがある稲荷だった。
例の、陽炎の不用意な発言から開催することになったあわいの地での祭りに来てくれた、上半分の狐面をつけた金髪に黒装束の七尾の稲荷だ。
その稲荷に向かって、さっきの派手な伝書鳩もどきの鳥が飛んでいくと、そのままふっと姿を消した。
どうやら彼が術で作り出した鳥のようだ。
そう考えれば派手な鳥だったのもなんとなく分かる気がした。それと同時に、
──ていうか、なんで、薔薇?