食事が終わり、秀尚は片づけとおやつの下準備をしてから二階に戻った。
みんないつものように、小さいいくつかの塊になって遊んでいて、今は、ブロック班、お絵かき班、秀尚に絵本を読んでもらう班ができている。十重と二十重だけは小さな折りたたみの鏡を前に新しい髪型を考えているらしく、頭の何ヶ所かの髪がゴムで括られていて、なかなかにファンキーな髪型だった。
「かのさん、どっちのかみがたがいい?」
二十重が聞いてくる。頭のてっぺんに噴水のような一つ括りがあり、キラキラとしたプラスチックのハートの飾りがついていて、両サイドの髪は合わせて十本ほどの細かな三つ編みにされていた。
対して十重は両耳を覆うような形でお団子が作られていて、そのどちらにも大きなマカロンの飾りとリボンがてんこ盛りについていた。
「うーん……甲乙つけがたいかな」
どっちも微妙な気がしたが、言葉を濁して判定をごまかした秀尚は、
「時雨さんなら、お洒落に敏感だから、今度、時雨さんに聞くといいよ」
と、常連稲荷の一人の名前を上げる。
すると二人はぱっと顔をほころばせながら頷いた。
二人に様々なおしゃれ道具──リボンや、カチューシャなどの髪飾りの類だ──を折に触れてプレゼントしてくれているのが、人界で働いているその稲荷だ。
「しぐれさま!」
「しぐれさま、こんどは、いつあえますか?」
二人が目をキラキラさせて聞く。
時雨はほぼ毎晩、居酒屋に顔を出すが、その時間は子供たちは館に戻っている。
そして人界でサラリーマンとして働いているので、平日の日中は会社で、週末は部屋の片づけをしたり、会社の同僚(主に女子)に悩み相談を兼ねて呼び出されたりしていて、結構忙しい様子だ。
しかし、
「二人が会いたがってたよって伝えとくね。早いタイミングで、会いに来てくれると思う」
時雨が子供たちを可愛がっているのは充分分かっているので、会いたがっていたと伝えれば早めに用事をすませて会いに行くだろうと予想できたので、そう伝える。
すると、二人は嬉しそうに笑って、やった、と互いの両手を合わせて喜ぶ。その様子を可愛いなと思っていた秀尚だが、ふと見ると二人の鏡が合わせ鏡のようになっているのに気づいた。
知らぬ間にどちらかの腕でも当たって位置が変わってしまったのだろう。
互いの鏡の中に無限に鏡が映し出されていた。
「合わせ鏡になっちゃってるね。戻さないと」
秀尚はそう言って、鏡の位置を変えた。
「あわせかがみ?」
十重が不思議そうな顔をして問う。
「うん。鏡同士を正面に置いて映し合うのを合わせ鏡って言うんだけど、あんまりよくないんだって」
秀尚がそう言うのに、
「意外だな、おまえさんがそんなことを知ってるなんて」
殊尋を膝の上に乗せ、絵本を読んでやっていた陽炎が、少し驚いた様子で言った。
「小さい時、ばあちゃんに言われたんですよ。ばあちゃんの三面鏡で、いくつも自分の顔が映ってるのが面白くて遊んでたら、鏡の向こうにある世界と繋がって、そこから鬼が出てきて連れてかれちゃうよって」
そんなこと嘘だ、と返した秀尚に、祖母は悲しそうな顔をして、
『嘘だったらいいね。秀ちゃん、今日は好きなものなんでもおじいちゃんに作ってもらって、いっぱい食べていったらいいよ。最後かもしれんからね』
しみじみとした様子で言い、それがやたらとリアルで、秀尚は慌てて三面鏡を閉じた。
多分、躾の一環としての演技だったのだと思うが、幼少期の秀尚には祖母のその言葉はインパクトが強くて、しばらくは祖父母の家に遊びに行っても、祖母の三面鏡の──閉じてあっても──中から誰かが出てきそうな気がしたものだ。
「鏡ってのは、昔は呪術の道具だったからな。今でも、ものによっちゃあそういった力を宿してるものがあるし、それなりに力のある者が使えば、普通の鏡でも、な」
陽炎が言うのに、十重と二十重は、
「そういえば、うすあけさまが、かがみをつかったあとは、ちゃんとぬのをかけておきなさいって」
「それって、かがみのむこうにつれてかれちゃうからなんだ!」
真剣な顔で納得したように言う。
「まあ、異世界と考えていいんだろうけど……」
秀尚はそう言って、自分にとって異世界はあわいだろうし、あわいに住まう彼らにとって異世界は人界なんじゃないだろうかと思う。
──合わせ鏡をするまでもなく、うちの押し入れの襖、繋がってるんだよな……。
何の変哲もない問題の押し入れの襖を見て、秀尚は微妙な気持ちになる。
もちろん、秀尚が開けたところでただの押し入れでしかないわけだが、子供たちや大人稲荷たちが使えば、そこはあわいと繋がる扉なのだ。
──考えたら、押し入れと異世界が繋がってるって、シュールっていうか……。
とはいえ、最初の頃、特に繋げる場所が決まっていなかった頃は、わりといろいろな場所が扉として繋がっていた。加ノ屋には二階の住居部分、店、そして厨房にそれぞれ一つずつ、全部で三つのお手洗いがあるのだが、当時は店のお手洗い以外は壊れていて使うことができなかった。
にもかかわらず、その唯一使用可能だった店のお手洗いの扉が、あわいと繋がってしまったことがある。
しかもその日に空間を繋いだ浅葱の術が甘かったせいで、本来、秀尚が開けてもそこは普通にお手洗いのはずなのに、見慣れた萌芽の館の子供部屋になっていて、秀尚はいろんな意味でピンチを迎えたことがあった。
そういった経緯から、繋がる場所を固定することになり、秀尚が寝室として使っているこの部屋の押し入れが繋がりやすい場所だということになって、使われているわけだが、もう少しありがたみのある場所がなかったのかな、とも思う。
「まあ、人界でただの人間が合わせ鏡をやっても問題が起きることのほうが少ないが、十重と二十重は気をつけるんだぞ」
陽炎が注意を促すと、二人は声を揃えて、はーい、と返事をする。
それに陽炎は頷いてから、殊尋に続きを読み始める。
昼食後はお腹も膨れて眠気を誘われることもあって、まだ赤ちゃんの寿々は一日の大半を寝ているが、その寿々を挟むように稀永と経寿の狐姿の二匹も丸くなって寝ていた。
その中、
「かのさん、きのうのつづきみてもいい?」
と、ブロック遊びに飽きた豊峯が聞いた。
「ああ、いいぞ」
秀尚が許可を出すと、お絵かきをしていた実藤と萌黄、そして豊峯と一緒にブロックをしていた浅葱、そして髪型を決め直していた十重と二十重もテレビ前に集合する。
ちょうど、絵本も読み終わったところだったので、殊尋も陽炎と一緒にテレビ前に合流して、昨日の続きのDVDを見ることになった。
慣れた様子で豊峯がテレビの電源を入れると、
『──で行われている夏祭りなんですが、今年は建立二百年の記念として、例年より規模が大きいんです』
季節柄、ニュースやワイドショーで祭りの光景が流されるのは仕方がないと思う。
仕方ないが二日連続となると、子供たちの意識をさりげなく祭りから遠ざけさせて、速やかにアニメ観賞に移行させるのがかなり難しい。
現に子供たちの目は、映し出される『昨夜の宵宮ダイジェスト』的な編集映像に釘づけでキラッキラだった。
──さあ、どうする? 夏休みのほうに話題を振って、モンスーンの新作映画に繋げるか?
秀尚が作戦を練る中、
「人界の祭りは楽しそうでいいよなぁ」
そう呟いたのは、陽炎だ。
「たのしくないおまつりも、あるんですか?」
不思議そうに萌黄が問う。
「楽しくないってわけじゃないが……俺たちは儀式に出る側だから、いろいろと忙しいし、気も張るからな。まあ、奉納される歌舞音曲は楽しいが、こういう、夜店を冷やかして回ったりっていう楽しさとはまた違うな」
陽炎の言葉を聞きながらも、画面に見入っていた子供たちは、
「にんぎょうやきって、おいしそう……」
「きんぎょすくいって、きんぎょさんをかみでとるの? やってみたい!」
「にんげんのおまつり、いってみたいなぁ……」
ますます祭りの光景にうっとりだ。
──あー、マジでヤバい。
さりげなく話題を変えよう、と秀尚が口を開きかけたその時、
「俺は、何度か人界の祭りに行ったことがあるぞ」
どこか自慢げに陽炎が言った。
──ちょ……!
秀尚は陽炎を見て、アイコンタクトを取り、その話はまずいと伝えようとしたが、あいにく陽炎は秀尚のほうをまったく見ていなかった。
「かぎろいさま! おまつりのおはなしきかせてください!」
「りんごあめは、たべましたか?」
「ふらんくふるとは?」
一斉に子供たちは陽炎の周りに集まり、質問攻めを始める。
それにまんざらでもない様子で、陽炎は、
「そうだな、じゃあ、出店で食べたおいしいものべスト3の発表といくか」
にこやかに自慢を始め、秀尚は、
──ああ、終わった……、何もかも終わった……。
チベットスナギツネのような目で陽炎を見つめる。