こぎつね、わらわら 稲荷神のまんぷく飯 立ち読み

 
「買い物に行きたいのに『かのさんが、つれてってくれない』って、子供たちがえらく騒いでたぞ?」
 二日後の夜、閉店後の加ノ屋にやってきた陽炎が、厨房にある配膳台の周囲に置いたイスに腰を下ろし、言う。
 その言葉に秀尚は苦笑した。
「まだ忘れてなかったか……」
 陽炎の言う「子供たち」は、浅葱や萌黄たち、つまり稲荷候補の子供たちのことだ。彼らのことを知っている陽炎も、普通の人間ではない。
 彼らは、子供たちの先輩というか、がっつり稲荷神である。
「えー、何、何? おチビちゃんたちと何かあったのかしら?」
 ノリノリで聞いてくるのは、陽炎より先に来ていた、同じく稲荷神の時雨だ。泣きボクロがあり、妖艶、といった言葉が似合う美形の時雨だが、陽炎より背が高く、そして男だ。
 ここ「加ノ屋」は、日中は普通の人間向けのメニューを提供する食事処だが、夕方五時に閉店した後は稲荷たちがほぼ毎日訪れる居酒屋になっていた。
 それもこれも、秀尚があわいの地にいた頃、子供たちの食事を作って余ったりしたもので、彼らにちょっとした料理を作って出したのがきっかけで厨房が簡易居酒屋になり、秀尚が人界に帰ってからも、それが継続しているのだ。
 その見返りは「加ノ屋のいい感じの繁盛加減」で、実際、加ノ屋は繁盛している。
 広告を出すような資金がないので基本的にSNS頼りで、以前働いていたホテルのチーフや同僚が来て、ブログやSNSの投稿などの口コミで広げてくれたりしているのだが、その書き込みを見た人が、多少不便な場所にあるにもかかわらず結構な頻度で来てくれて、そしてリピーターになってくれている。
 おかげで繁盛しているのだが、料理提供が遅くなって怒って帰る客が出ない、という程度に来客時間はバラけつつ、回転もそこそこよくてピーク時間が長い、という「一人で切り盛りするの無理!」な感じにならず、理想的ではないかと思う。
 無論、人間向けの営業時間にもしれっと、人の姿の稲荷神たちが食事に来ることがある。
 稲荷神の中には、人間の動向調査や直に人間と触れ合って、「願い事の叶え方」や「思考の変化」を探ったり、それ以外にも特殊任務で人にまぎれて生活している者が複数いるのだ。
 時雨はそんな稲荷神の一人で、普通に人界で社会人をしている。
 なぜかオネエ口調で、そこは普通ではないが。
「この前、子供たちがスーパーのチラシで、見たことのない果物があったんで、食べてみたいって騒ぎだしたんですよ。で、買い物に行かないとダメだって言ったら、買い物に連れていけって大騒ぎで……、耳と尻尾があるからダメだって説明したんですけどね。その時は話を逸らせたんで、そのまま忘れてくれないかなーって思ったんですけど、無理だったみたいです」
「あの耳と尻尾だものねぇ。ハロウィンの時期でも、ちょっと無理だわ」
 時雨が、さもありなん、といった様子で呟き、陽炎も頷く。
 作りモノと言うには無理がある耳と尻尾である。
 大人稲荷たちも、閉店後で他の人間と会うことはないと分かっていても、店に来る時は念のために耳と尻尾は隠しているのだ。
 それを考えれば、子供たちが成長して、自力で隠せるようになるまでは、人間のいる場所に出すのは無理だ。
「とはいえ、だ。あいつらが、その説明で大人しく黙ると思うか?」
 陽炎の言葉に、秀尚は「あー……」と呟いた。
 子供たちは可愛いし、滅多に我儘を言わないのだが、その「滅多」が出てきた時は、わりとしつこく頑固だ。
「代わりの何かを提示するか、もしくは、条件を出すか、かしら? 後者なら、条件をクリアしたら連れてくしかないわねぇ。……ところで、秀ちゃん、一番早く出るメニューって何? 突き出し、食べ終わっちゃったわ」
時雨が空になったお通しの器を見せて言う。
「あ、すみません。すぐ次の、出しますね。陽炎さん、これ今日の突き出しです」
 陽炎が来てすぐ子供たちの話になってしまったので、すっかり料理を作る手が止まってしまっていた。
 陽炎に小鉢を出すと、時雨には冷蔵庫から魚の冊を取り出し、刺身の盛り合わせを作る。
「お、今日の突き出しはツナサラダか」
「おいしかったわよー」
 陽炎の言葉に時雨がすぐに返す。
 突き出しと言っても、準備しているのは三、四個で、それが終わってしまうと、その後に来た稲荷は突き出しがない。
 その頃には、大皿で出された料理を取り分けて食べる状態になっているし、みんな大して気にしていない。
 それに、彼らから居酒屋時間での飲食代と、萌芽の館の子供たちに送る食事の代金はもらっていない。
 これは、店を繁盛させてもらっていることへの供物代わり、という扱いだからだ。
 とはいえ、完全にタダで提供している、というわけではない。
「こんばんはー」
 店の玄関から誰かがやってくる声がした。
 店の戸は、もう鍵を閉めてしまっているのだが、その戸にリンクさせるようにして、稲荷たち専用の「時空の扉」と呼ばれるものが設置されていて、彼らはそこを通じてやってくるのだ。
 足音はまっすぐ厨房へと向かってきて、常連稲荷の一人である濱旭がやってきた。濱旭は快活な若いお兄ちゃん、といった様子だが、やはり彼も整った顔立ちをしている。
 入ってきた濱旭の手にはスーパーなどで使うレジ袋があり、
「二人とも、もう来てたんだ。大将、これ差し入れ」
 そう言って秀尚に袋を渡すと、慣れた様子で濱旭も、陽炎と時雨のいる配膳台周りのイスに腰を下ろす。
「ありがとうございます。あ、カツオのたたきだ」
「そう。俺、今、仕事で高知にいるんだよね。市場でおいしそうだったから買ってきちゃった」
 濱旭も人界にいる稲荷で、パソコン関係のテクニカルサポートという仕事に就いており、いろいろと出張が多く、その際でも出先から加ノ屋にやってくる。
 大体その時には、こうしてお土産を持ってきてくれるのだ。
 それ以外にも、子供たちの食事用の材料としてあわいの地で採れたものが送られてくるし、基本酒は持ち込みなので、供物代わりの料理提供といっても、秀尚の懐はあまり痛んでいない。
「で、チビたちはどうする? 時雨の言うとおり、条件クリアしたら連れてくってことにするか?」
 陽炎がツナサラダを食べながら聞いてくる。それを受けて、時雨が濱旭に子供たちが買い物に行きたいと駄々をこねている話をかいつまんで伝える。
「そうですね、それがいいかもしれません。何があっても耳と尻尾を隠し続けられるならって条件で」
 秀尚が言うと、
「あれ? あの子たち、耳と尻尾、隠せるんだっけ?」
 濱旭が、突き出しのツナサラダを受け取りながら聞いてくる。
「いや、無理だな。だから、最初だけ俺が隠してやって、その後、維持できたらってことでどうだ?」
 陽炎が一番無難な妥協ラインを提案してくる。
「じゃあ、その条件で。ちなみに、維持できそうな子ってどのくらいいます?」
 秀尚の問いに陽炎は首を傾げた。
「まあ、八割がた無理だろうな。あとの二割は、運だ」
「あんまり運の強い子がいないことを祈ります」
 秀尚がそう返すと、また入口から新たな稲荷がやってくる気配がして、居酒屋は本格的に営業し始めた。

◇◆◇

 そして、やってきた次の「加ノ屋」の休日。
 子供たちはにこにこ顔で陽炎と共にいつもの時刻に加ノ屋に来た。
「かのさん、かぎろいさまから、ききました!」
「しけんにごうかくしたら、おかいものつれてってくれるんだよね?」
 萌黄と浅葱が確認してくる。
「ああ。合格したらな」
 秀尚が言うと、子供たちはやったー、と飛び跳ね、口々に「たのしみー」と声を上げ、
「わたし、おようふく、いろいろみてみたい!」
「わたしも!」
 十重と二十重は女の子らしく、ファッションに興味があるらしい。
 ──っていうか、スーパーへ連れてくってことじゃなかったっけ?
 確か、スーパーの広告を見ていたはずだったと思うのだが、この一週間の間に彼らの願望はグレードアップしていたらしく、
「とよは、おもちゃうりば!」
「ぼくもー!」
「ぼくは、ほんをいっぱいみてみたいです」
 豊峯、浅葱、萌黄もわくわくした目で希望を述べる。
「萌黄は勉強家だな。じゃあ、みんな耳と尻尾を隠していくぞー」
 陽炎が言い、人の姿に変化している子供たちの耳と尻尾を術で隠していく。だが、
「寿々、おまえさん、手が狐さんのままだぞ?」
 列の一番後ろにいた寿々に陽炎が指摘する。
 その言葉に寿々は、ハッとした顔になり、慌てて再度変化をするが、今度は人の足だったのが狐の脚になり、もう一度変化をしたら、手足は人間になったものの、顔が狐に戻ってしまった。
「寿々には、まだ、早いかなぁ。こいつらとお留守番してるか?」
 まだ変化できない二匹に軽く視線をやりつつ、陽炎が問いかける。
 今日も寿々は変化が難しいらしい。これまでも手だけ、足だけ、が狐のままということはよくあったし、調子が悪ければ、変化そのものができないことも多い。
「……すーちゃん、だめ?」
 涙目で寿々が問う。
 寿々とて、よく分かってはいないのだが、みんなが楽しみにしている「お買い物」が何か体験してみたいのだろう。
 だが、その試験さえ受けさせてもらえないのは悲しくて、涙目から一気に涙腺崩壊に向かおうとする。
「あー、待て待て、泣くな。ほれ」
 寿々に泣かれたくない陽炎は術で寿々を人の姿に変えてやる。
「ついでに耳も尻尾も消して、と……。これで、人の姿になれる奴は全員、耳と尻尾消えたか?」
 陽炎の言葉に全員が元気よく返事をし、狐姿のままの二匹は、「みんながんばって!」と声をかける。
「じゃあ、試験開始だ」
 陽炎はそう言うと、少し離れた場所に腰を下ろし、積んである週刊の漫画雑誌を手に取った。
「……かぎろいさま、しけんは?」
「んー、始まってるぞー。あれ、先週号って俺、読んでないな。先週号はどこだ?」
 問う子供への返事より、先週号を探すのに必死な陽炎に、「下のほうに積んでないですか」と秀尚は言う。
「おお、あった、あった……」
 陽炎は上に積んである分を崩さないように目当ての号を抜き取ると、雑誌を読み始める。その様子に秀尚は一つ息を吐いてから、
「みんな準備はできてるねー?」
 子供たちに声をかけると、「はーい」といい子な声が返ってきた。それに、「じゃあ、みんなそのまま普通に遊んでて」と言ってみたが、みんな試験というのが頭にあるので、耳と尻尾が出ないか気にして、いろいろぎこちない様子だ。
 そこでいつもみんなでやっているばばぬきを提案し、子供たちが配られたカードに夢中になった頃合いで、陽炎はそっと準備しておいた紙風船を破裂させ──カオスな騒ぎが起きたのである。