十二月の初旬にもなると北海道では雪が降り始める。絹子川市はまだ本格的には降っていないけれど、ここ数日は気温も氷点下近い。
この時期になると、あたしたちが通う絹子川学院大学の学生会館は寒さを凌ぎに来る学生たちの溜まり場となる。特に二階にある憩いの広間は暖房が効いているし、くつろぐスペースが十分にあるから、今日も賑わっていた。あたし・矢尾あすなもその一人で、親友の遠山美波を連れてここで寒さを凌いでいた。
「寒いねー」
美波はコテで巻いた長い黒髪を耳にかけながら、窓から雪がちらつく景色を眺める。
「本当。寒くて外に出たくないわ」
あたしはため息をつき、自動販売機で買ったホットココアを口に運んだ。
「今年ももうすぐ終わるね」
「早いわよね。あっという間に正月よ」
「その前にクリスマス……あ、あすなちゃんは誕生日もあるね」
美波にクリスマスと言われて辺りを見回す。階段前のスペースにはもうクリスマスツリーが置かれているし、壁の装飾もサンタクロースやトナカイがついたクリスマス仕様になっている。十二月が始まったばかりなのにクリスマスムードになるのはまだ早いような気がするのだが、そう思っているのはあたしだけのようで、他の学生たちから聞こえてくる会話もクリスマスの予定ばかりだ。
「あすなちゃんはクリスマスどうするの?」
そう考えていると美波からも尋ねられる。
「特に予定はないわよ」
「あれ? 種岡君は?」
「なんで亮太が出てくるのよ」
突然出てきた幼なじみの名前に、つい眉をひそめる。
その様子に美波は「えー」とぼやく。期待にそえない回答で残念でした。
「あんたこそどうなのよ。ちゃんとあいつ誘ったの?」
ニヤリと企んだ笑みを浮かべると美波は「あいつって?」と首を傾げた。しかし、惚けたって無駄だ。
「決まってるでしょ? あいつよ─」
だが、あたしが言いかけたところで「あれ?」と聞き覚えのある声が背後から聞こえた。
「美波ちゃんとあすなちゃんだ」
その声に振り向くと、まず橙色の髪をした襟足の長い彼が見えた。こちらに向かって手を振っている。友人の高爪統吾だ。その後ろにはあたしの幼なじみの種岡亮太と彼らの友人である柄沢悟がいた。
美波が手招きすると三人はあたしたちの向かいに座った。
こう改めて並んだ三人を見ると、本当に髪の色も雰囲気もそれぞれ全然違うなと思う。亮太の染めた茶色の髪色も明るいほうだとは思うが、高爪と比べると大人しく見える。こんな派手な髪色なのにこれでも高爪は実家の花屋の手伝いをしているというのだから驚きだ。
「こんな所で会うなんて珍しいな」
亮太は意外そうに言う。言われてみると、あたしたちは彼らほどこの学生会館を利用しないからここで出くわすことは稀だと気づいた。
「いつもは図書館で時間を潰すんだけど、今日は寒いからここで暖まってたの」
「確かに、今日は特別寒いもんねー。席も埋まってるし、いつもより人が多い気がする」
高爪は腕を組んで納得するように頷く。いつも入り浸っている彼らだからこそ、普段との密度の違いがわかるのだろう。
「なんかこのメンバーで集まるのも久々だな」
「お前、後期が始まって早々にサボってたもんな」
柄沢がにたつきながら亮太を小突くと、亮太はすぐに「うるせ!」と不貞腐れた。
「でも、亮太の言う通りかも」
「そうだねー。またみんなでご飯でも行こうよ」
クスクスと微笑む美波に、高爪はすかさず「いいね!」と賛同する。
そんなたわいない話をしながらまったりと過ごしていると、横から「あ」と声が割り込んできた。
「勢揃いで楽しそうだな」
短い前髪から覗かせる大きな瞳に華奢な体。その体に似つかわしくないようなベースケースを担いでいる。中性的な声とその口調から、知らない人が見たら少年に見えても無理はないだろう。
「お、牧穂じゃん」
高爪が彼女の名前を呼ぶと牧穂も「やあ」と手を挙げた。
彼女は七瀬牧穂。あたしと美波の学友で、高爪と同じ軽音サークルに入っている。なおかつ彼とは同じバンドだ。
「マキちゃん久しぶり。元気だった?」
亮太は牧穂とは余程久しぶりに会ったようで、彼女の登場に少し驚いていた。あたしと美波は同じ経済マネジメント学科だから講義でよく会うけれども、人文学科の亮太と柄沢は高爪のライブを観に行かない限り滅多に彼女に会わないそうだ。
「種岡も柄沢も元気そうだね。でも、統吾から二人の話をよく聞くから久しぶりって感じしないや。それに、柄沢は旭とよく連絡取るんだろ?」
「まあな。情報交換したり、CD借りたりしてる」
「今度僕にもオススメのバンド教えてね」
ニッと笑む牧穂だが、思い出したように「そうだ」と鞄から何か取り出した。
牧穂が出したのは吹奏楽団のコンサート案内だった。
「土曜日に友達の楽団がコンサートやるんだけど、誰か行かないか? 友達と一緒に行こうと思ってチケット買ったらどっちも予定が入っちゃってさ」
みんな机に置かれたチラシをまじまじと眺めるが、亮太と高爪はすぐに浮かない顔になる。
「俺、吹奏楽わかんないんだよね」
「俺も俺も。せっかく行ったとしても寝ちまいそう」
亮太と高爪の発言に牧穂は「そっか……」と残念そうに眉尻を垂らす。
あたしも音楽鑑賞は嫌いじゃないのだけれども、クラシックに疎いからなかなかハードルが高い。
そんな中、美波は興味津々にチラシに載っている曲のセットリストを眺めていた。
「懐かしいー。この曲、コンクールで弾いたことある」
「そういえば、美波は吹奏楽部だったんだっけ」
「うん。高校の時ね」
「へー、そうだったんだ。初耳」
亮太が意外そうに言ってくるが、柄沢だけは「そういえば、そんなこと言ってた気がする」と納得する。
「よければチケット私に一枚譲ってくれないかな。ちょうどこの日空いてるの」
美波がそう言うと牧穂は「勿論」と喜びを?茲に浮かべる。
「よかった。これであと一枚だ」
牧穂は美波にチケットを手渡すと、美波も「楽しみにしてる」と喜色が顔に出ていた。
そんなやり取りが行われている横で、柄沢は無言でチラシを眺めていた。
その様子を見て高爪と亮太も「お?」と反応を示した。
二人で顔を見合わせてにんまりと笑みを浮かべる。何か企んでいるようなその様子に呆れ返ってしまう。
あたしに見られていることに気づいた高爪と亮太は二人して口元に人差し指を持っていき「シー」と訴えてきた。
彼らがしようとしていることはなんとなく想像ができる。
というか、こんなこと前にもあった気がする。
「いやー、惜しいなあ牧穂。そういえば俺、その日店番なんだわ」
高爪は「残念だなー」と言いながら大袈裟にがっくりと肩を落とした。
「俺もその日はあすなと一緒に地元の友達と会うんだよ」
「え」
ちょっと待って。そんなこと聞いてないんだけど。
そう思うあたしをよそに亮太は「な、あすな」とあたしに同意を求める。
何これ。もうすでに胡散臭いんだけれど。
しかし、牧穂は「気にしないでくれ」と疑う様子もない。
待ちなさいよ牧穂、どう見てもこいつらのリアクションおかしいでしょう。なんで信じるのよ。真面目なのあんた。
色々ツッコミを入れたいが、亮太があたしを見ながら「わかってるよな……」と低く囁く。
そんな二人の悪巧みなどまったく気づかず、柄沢は未だにチラシを見ていた。
柄沢も気づきなさいよ。あんたどれだけ鈍感なの。それとも、この状況に慣れすぎたの?
いくら目で訴えても、柄沢は文字通りあたしなんか眼中にない。
だが、そんな柄沢に声をかけたのは牧穂のほうだった。
「柄沢はクラシック聴くのか?」
「聴かないが興味はある。バンドでもクラシックをモチーフにしている曲もあるから、一回ちゃんと聴いてみたかった」
「面白いと思うよ。クラシックだけでなくて有名なアニメや映画の曲もやるし」
牧穂の話に柄沢は「ほう」と反応する。万年仏頂面の柄沢が目を輝かせるほど興味を示すなんて珍しい。
それを「今だ!」と言わんばかりに高爪が促す。
「いいじゃん、行っておいでよ。絶対楽しいぞー」
高爪の発言にやっと美波が状況を把握し始める。
「え? え?」
動揺しながらチケットと柄沢を交互に見つめる。
それを高爪も亮太も「いけ!」と念じ始めた。
そしてついに柄沢は頭を?惜きながらぽつりと呟いた。
「……行くか」
「え、えぇぇぇ!」
美波の顔が茹でだこのように真っ赤に染まる。
そんな彼女の動揺など知りもせず、柄沢は「いいか?」と美波に確認する。
それでも美波は赤くなった両?茲を手で押さえ、コクリと頷いた。
「ありがとう。助かったよ」
喜ぶ牧穂の近くで、隠れるように亮太と高爪がハイタッチした。多分、この事態を一番喜んでいるのはこの二人だ。ニヤつきが止まらないその顔が気持ち悪い。しかも美波と柄沢が牧穂にチケット代を支払っている隙にチラシを凝視している。おそらくコンサートの時間と会場までの地図を頭に入れているのだろう。
「楽しみだねえ、悟君」
ニヤニヤ顔のまま肩を叩く二人に柄沢は「気持ち悪い」と不快感を示す。しかし、気づかないのならそれはそれで幸せなのかもしれない。
そして、次の土曜日のこと。
美波が待ち合わせ場所である最寄り駅で柄沢を待っている。緊張しているのか何度も前髪を直したり、辺りを見回したりと忙しない。
やがて柄沢の姿を見つけると、美波はすぐに背筋を伸ばした。
「待ったか?」
柄沢はばつが悪そうに頭を?惜くが美波は首を振る。
「う、ううん。私も今来たところだよ」
そんなことを言う美波だが、実は待ち合わせ時間の二十分前には到着していたことをあたしたちは知っている。
「少し早いが……行くか」
柄沢は腕時計で時間を確認し、美波をリードした。
美波もたどたどしく柄沢の後ろにつきながら、ちらちらと辺りを見回した。まるで、誰かの視線でも感じているかのようだ。
美波を気にかけて柄沢が振り向く。
「どうかしたか?」
だが、彼が尋ねても美波は「なんでもないよ」と首を振った。
彼女は気のせいだと自分に言い聞かせたようだ。
決して気のせいではないのに。
今、あたしの目の前に冬用のアウターと帽子にサングラスというミスマッチな恰好をした二人組の不審者がいる。
そいつらは建物の陰に隠れながら彼らを監視していた。