二周年SS_花屋の倅と寺息子

高爪統吾とスイートピー

 俺の家は花屋を営んでいる。絹子川きぬこかわ市の商店街にある小さな花屋だ。名を「高爪たかづめ生花店」と言う。
 小さいとはいえ花の品数も他の店舗に負けないくらい豊富だし、花の取り寄せから配達まで、お客様のニーズに寄り添うようなサービスを充実させているつもりだ。そのおかげか、ありがたいことにリピーターが多い。
 俺の友人である柄沢からさわさとりもそのリピーターの一人だ。今日もいぶかしげな顔で頭を掻きながら何を買おうか悩んでいる。
「お兄さん、今日はどうするんですか?」
 ニヤニヤしながら声をかけると、彼はムスッとした表情のまま振り返った。こんな顔だが、怒っている訳ではない。元々不愛想なのだ。
 彼はきっと好きなガーベラにしようか、それとも別の花にしようか迷っているのだろう。花の選択に悩んでいる人に助言するのも花屋の仕事の一つだ。だからいつもこうして一緒に花を選んであげている。
「彼岸花は? お彼岸近いんだし」
「彼岸花はうちにいっぱい届くから見飽きた」
「ああ、そういえば前もそんなこと言ってたね」
 彼の家は寺だ。住職のお父さんと弟のめいちゃんの三人で暮らしている。お母さんは彼が中学生の時に亡くなっているので、家事のほとんどを彼が担っている。こうして今日も俺の店に来てくれるのもお母さんの仏壇に飾る花を買うためだ。
「じゃあさ、花の品種にこだわるんじゃなくて色に合わせて花束作ってみる?」
「色?」
「うん、秋っぽい色。濃い赤とか黄色とか……あ、紫や青みたいなシックな色もいいかもよ」
「なるほどな……たまにはとうに任せてみるか。二千円前後で、赤をベースに頼む」
「はいよ、まいどあり」
 彼の要望に応えるため、キーパーを開けて花を選ぶ。
 せっかく秋なのだから、ダリアをベースにするか。花が大きいから一輪、二輪だけでも一気に華やかになる。添え花はワレモコウにしよう。小さいから邪魔にならないし、この茶色がいいアクセントになってくれるはず。あとは少し赤いバラを混ぜれば……。
「よし、これで行こう」
「よくもまあそんなに躊躇ちゅうちょなく選べるな……」
 花を選ぶのになんの迷いも見せなかった俺に彼は感心する。
「えへへ。まあ、見てなって。いいブーケ作ってあげるからさ」
 得意気に笑いながらカウンターへと回ろうとすると、ちょうど店についたベルがカラーンと鳴った。
「いらっしゃいませー」
 入り口に顔を向けると、入ってきたのは一歳くらいの女の子を抱いた女性だった。
「あ、小野田おのださんいらっしゃいませ。サナちゃんも久しぶりー」
「統吾君、こんにちは」
 小野田さんはにっこりと笑って会釈をする。お母さんを真似てか、サナちゃんも一緒になってお辞儀をした。
「小野田さん、ご無沙汰しています」
「あら、お久しぶりね。統吾君のお友達の……そう、さとりん君」
「なっ!」
 小野田さんに名前を呼ばれるとさとりんは驚いたように退いた。そして頬を赤く染めながらギロリと俺を睨む。
「てめえ……変な名前で呼び続けるから小野田さんがそっちで覚えちまったじゃねえか」
「えー、今更じゃん」
 機嫌を損ねるさとりんに俺も口を尖らせる。
 俺は「サトリ」という名前が珍しいから間違いないように「さとりん」と呼ぶようにしていた。もうこの名前で呼ぶようになって一年以上経つから、てっきりこの呼び名を了承しているのかと思っていたのだが、どうやらそうではなかったみたいだ。
「お前がしつこく呼ぶからこっちが諦めてたんだよ」
「あ、これ俺だけの特権? それはそれで光栄――ぐはっ!」
 笑っているとさとりんは俺の腹にボディブローを食らわせてきた。
 よろめきながら顔を上げるとさとりんが眉間にしわを寄せて凄い剣幕でこちらを睨んでいた。その奥で小野田さんが「あらあら」と頬を引き攣らせている。
 そのやり取りを見たサナちゃんがキャッキャッと笑いながらさとりんに手を伸ばしてきた。どうやら彼に構ってほしいようである。
「こら、サナったら!」
 腕の中で暴れ出すサナちゃんに小野田さんも困惑している。
 さとりんはそんなサナちゃんを見て目を丸くしたが、一息つくと彼女に向けて両腕を広げた。
「……お前も物好きだな」
 そう言いながらさとりんはサナちゃんを優しく抱っこする。するとサナちゃんは嬉しそうに両腕をブンブンと縦に振った。
「ごめんね。重たいでしょ?」
 申し訳なさそうに眉尻を垂らす小野田さんに向け、さとりんは「いいんですよ」と首を横に振る。
「でも、しばらく会わないうちにこんなに大きくなったからびっくりしました」
「そうよね。初めて会った時はまだこの子もお腹の中にいたもんね」
 さとりんの言葉に小野田さんはクスクスと笑う。
 彼女の言う通り、俺たちが小野田さんと初めて会った時はまだ彼女は生まれていなかった。それなのにもうここまで大きくなったのだから、時の流れを恐ろしく早く感じる。
「まだ足取りは危ないけど、立って歩くようになったのよ」
「そっかー。もう一歳ですもんね」
 サナちゃんの成長をしみじみと感じながら、俺は彼女の小さな頭を優しく撫でた。当の本人は自分のことを言われているとわかっていないようで、そのくりっとした大きな目で不思議そうに俺たちを見ていた。
 ふと下を見ると、さとりんの足元に五歳くらいの男の子がくっついていた。さとりんも気づいたようで俯くと、男の子もこちらを見てきた。サナちゃんの兄のタケルだ。
 タケルに向けて小さく手を振ってやると、彼も嬉しそうに振り返してくれた。
 さとりんがタケルと並べるようにそっとサナちゃんを降ろすと、サナちゃんもタケルに手を振り出した。
「あらあら。この子ったら……」
 小野田さんは困ったような顔をしながら、サナちゃんの隣にしゃがみ込む。
「びっくりしたでしょ。こうしてたまに何もないところに手を振ったり、自分のおもちゃをあげたりするの」
 小野田さんの言葉に俺とさとりんは互いの顔を見合わせた。
 その隣ではタケルが目をぱちくりさせながら小野田さんを見上げている。
 どうやら俺とさとりんだけでなく、サナちゃんもタケルのことがえるようだ。
 言い換えると、この中でタケルが視えていないのは小野田さんだけ。
 タケルはサナちゃんが生まれる前に交通事故で亡くなった小野田さんの息子――つまり、幽霊だ。

 ――お届け物です。
 小野田さんと初めて出会った時、俺はそう言って、彼女にスイートピーで作った小さな花束を手渡した。高校を卒業したばかりの話なので、俺の髪もまだだいだい色に染めていなかった。
「ママがこのおはなすきなの」
 タケルはそう言って一人でうちの花屋までやってきた。あの時はあまりにもはっきりと視えたので一瞬迷子になった子供かと思ったが、なんとなく彼から生気を感じなかった。
 こんな子供が花を求めてここまで来たということはきっと理由があるはず。そう思ったので俺はそこから何本かスイートピーを抜き取り、簡単にラッピングしてタケルと一緒に店を出た。そして、彼に案内された先の公園に小野田さんがいたのだ。
 あの頃の小野田さんはお腹の中にいたサナちゃんを優しく撫でつつも、目は虚ろで悲しみに暮れていた。
 いきなり俺が現れ、突拍子もなくスイートピーを手渡されたものだから彼女も驚いていており、何度も俺と花を見ていた。
 自分でも怪しいことしているというのはわかっていたし、現に彼女からの不審な眼差しはひしひしと感じていた。けれども、タケルの心配そうな顔を見ていると退く訳にもいかなかったのだ。
「『タケル君』からのお届け物です」
 その名前を出すと小野田さんはハッとし、口元を手で押さえた。
「……さっき、『お母さんにあげる』ってうちの店に来たんですよ――信じてくれないかもしれませんが」
 そう話した頃には彼女は口元に手を当てたまま、肩を震わせて必死に泣くのを堪えていた。
 タケルは自分の母親が元気のないことを気にしていた。それで彼女のために花をあげようとうちの店に来たのだ。それを話すと小野田さんは嗚咽おえつ混じりで俺に尋ねた。
「タケルに会ったのですか?」
 彼女からしてみたらまさか二ヶ月前に亡くなった息子の名前が出てくるとは思わなかっただろう。だが、彼女は俺を疑うことなくタケルのことを話してくれた。
「タケル……この公園の近くで車に轢かれたんです。あの子を呼び止めた時はもう遅くて、そのまま私の目の前で……もう二ヶ月経つのに、車に撥ね飛ばされたタケルの姿が頭から離れないんです……」
 涙を流す彼女を見ていると胸がチクリと痛んだ。
 彼女は後悔しているのだ。タケルを止められなかった自分に。身を挺してまでタケルを庇えなかった自分に。
 彼女のお腹の中には赤ちゃんがいる。だから、無理はできなかった。それに、彼女が走ったところでタケルの命が救えたかどうかはわからない。不慮の事故なのだから特定の誰かを責めることもできず、こうして自責の念だけが募っていく。
「ここにいるとね……ひょっとしたらタケルに会えるんじゃないかと思うんです。本当はタケルは生きていて、ひょっこりと私の前に現れるんじゃないかって……今でもこうしているはずのないタケルを探してしまうんです――そんなこと、あり得ないのにね」
 小野田さんはわざとらしく笑うが、無理していることはわかっていた。今だって両目から涙がぽろぽろとこぼれ落ちている。
「だからね、君にタケルからのお届け物って言われた時、本当に嬉しかった。私がこの公園に通い続けた意味もあったのかもしれないって――そう思えたの。それがたとえ……」
 小野田さんはそこで口をつぐんだ。
 ここから先の言葉は彼女が言わなくても想像できた。
『それがたとえ……君の嘘だとしても』
 彼女がそう思うのも仕方がない。いや、彼女だけでなく、殆どの人は俺が嘘をついていると思うだろう。自分には視えていない者の存在を信じろだなんて無理に決まっている。
 それでも彼女は俺を信じてくれようとしてくれている。こんな人は滅多にいないから嬉しいはずなのに、心が苦しかった。
 タケルは彼女の目の前にいる。今だって俺の足にしがみついて悲しそうな目で彼女を見つめている。だが、俺がいくら説明しても、彼女にはタケルの姿は視えない。言ったところで、かえってつらくなるだろう。だからこそ、とてももどかしかった。
 黙りこくっていると俺を見兼ねたタケルが心配そうにして尋ねてきた。
「ねえねえ、お兄ちゃん。ママないてるの、ぼくのせい?」
 そんな澄んだ物寂しげな眼差しで見つめられたら何も言えなかった。
 彼の未練に気づいてしまった。彼は自分の死に悲嘆する母親を放っておけなかった。いや、彼自身も自分を責めていたのだ。自分のせいで、母親がこんなにも悲しんでいる、と。けれども彼一人ではそんな詫び言すらも彼女に届かない。
 こんな小さい子にまでこれ以上つらい思いはさせたくなかった。
「大丈夫。でも、お母さん泣いているから、ギュッとしてあげな」
 首を振ってそう答えると、タケルはきょとんとした顔で俺を見上げた。
「ぼくのことわかるかな」
「わかるさ」
 ――だって、タケルはこんなにもお母さんのことを思っているじゃないか。
 じっとタケルを見つめていると彼はコクリとしてベンチに上がって小野田さんを抱きしめた。
 小野田さんはハッとして俺を見上げた。
 そんな彼女に応えるように俺はゆっくりと頷く。
「そこに、タケル君がいますよ」
 彼女はまた大きく目を見開いて息を呑んだ。そして再び大粒の涙を流す。
 タケルのことが視えないのだから、タケルの存在も感じることができないはずだ。それなのに彼女は目の前にいるタケルをそっと抱きしめた。まるで、彼の姿が視えているかのように。
「ママ、だいすき」
 そう告げるタケルに向けて、小野田さんは穏やかな声で優しく答えた。
「……私も大好きよ、タケル」
 腕に力が籠る彼女の姿に驚かずにはいられなかった。
 彼女はタケルのことが視えている。それだけでなく、彼の言葉にはっきりと答えている。魂だけの存在のタケルである姿も声も、彼女がわかるはずがないのに。
 彼女たちの身に何が起こっているのか、理解が追いつかなかった。だが、小野田さんとタケルの優しい笑顔を見ていると、そんなことどうでもよくなった。こうして二人が満たされているのなら、それこそ俺が望んでいたことではないか。
 やがてタケルの体が輝き出し、光の粒子となって高く昇っていく。
 この世に未練がなくなった彼の魂はこのまま空へ帰っていくのだ。
 タケルと別れの挨拶を交わした後、俺は彼の魂が空に消えてなくなるまで見守っていた。
 彼の魂が光の粒子になって消えた時、きっと彼女の腕の中の温もりもなくなったのだろう。
「タケル……タケル……」
 小野田さんは自分自身を抱きしめるように小さくうずくまり、肩を震わせて泣いた。
 その光景は胸が張り裂けそうになるくらい切なく、俺は耐えられなくてそっと彼女に背を向けた。
 俺の役目もここまでだ。
 結局、俺は彼女に何ができたのだろうか。
 亡き者の魂は俺たちのような限られた人間にしか視えない。
 その悲しみにわざと触れ、心の傷口に塩を塗って無理矢理泣かせただけだったのだろうか。
 俺のしたことは、正しかったのだろうか。
 嗚咽をもたらすまで泣きじゃくる小野田さんを見ていると、少しばかり悩んだ。
 けれども――……。
「あの……ありがとうございました」
 振り返った先にいた深々とお辞儀をしている彼女の姿は、そんな迷いを消してくれた。
 ――まさかこれらのやり取りをさとりんが木の影から一部始終見ていたなんて思ってもいなかったけれども。
 タケルが店にやってきた時、たまたまさとりんは家族と共にうちの店に来ていた。俺と同じように幽霊が視えるさとりんも同様にタケルが視えていたから、気になって後をつけてきたらしい。
「いつもこんなことしてるのか?」
 公園から店まで帰る最中、彼はこんなことを尋ねてきた。
「んー、時々ね」
 視えてしまうとどうしても幽霊に絡まれやすくなる。自分の姿が視える人なんてなかなかいないものだから、幽霊たちも助けを求めやすいのだろう。中には悪意のある幽霊もいるから悪戯いたずらされたり、命を狙われることもある。だから、幽霊を追い払える力でもない限り本当なら構わないほうがいいのだ。
 さとりんもそう思っているらしく、俺の行動が理解できないようだった。
「死ぬかもしれないんだぞ?」
 眉をひそめて、真剣な顔で俺に念を押してくる。
 でも、それくらい俺自身も十分わかっているのだ。
「それでも……俺は放っておけないんだよね。困っている人がいるのに見て見ぬふりをするなんて、自分のプライドが許さないんだ」
 生きている人でも死んでいる人でも……それがたとえ悪霊であっても、助けを求めているのなら手を貸してあげる。それが俺のモットーだ。
 この、幽霊が視えるという力はそんな人たちを救ってあげることができるのだ。
「俺はこの力があってよかったと思っているよ」
 そう言うと彼は信じられないと言わんばかりに顔をしかめていた。
 彼はあまり人を信用していなかった。多分、幽霊が視えるということで嫌な思いをしてきたのだろう。だから彼は自分に幽霊が視えるということを必死になって隠して生きてきた。だから俺のように堂々としている人間が不思議でたまらないのだ。
「お前はつらくないのか? 周りは俺たちのこと理解してくれないんだぞ」
「そりゃ、いっぱい傷つくさ。でも、わかってくれる人もいるよ。君だってさっき見ただろ?」
 さとりんは俺の言葉を聞いてその大きな目をさらに見開いた。だが、すぐに笑い出したので、俺は思わずきょとんとしてしまった。
「俺、お前のこと気に入った」
 そう言って彼は俺に手を差し出す。
 突然のことだったので、俺は唖然としたまま彼の顔と手を交互に見た。けれども、彼の意図が伝わったので、にっと笑ってそのまま彼の手を取った。
高爪たかづめとう。統吾でいいよ」
 固い握手を交わすと、さとりんは嬉しそうに目を細めた。

 ――これが、俺と柄沢悟の出会いだ。
 この時は同じ大学で、しかも同じ学科に入学するとは思わず、オリエンテーションで再会した時は本当に驚いた。だが、さとりんは俺との再会よりも俺の橙色に染まった髪色のほうに驚いていた。
 同じ体質だから俺たちが仲良くなるのに時間はいらなかった。今では最大の理解者とも言える。それに至るまでもいろんな苦労があるのだが……それはまた別の話。俺がこうして首を突っ込むからトラブルも多く、そのたびに文句を言わるのだが、なんだかんだこうして隣にいてくれるのだから、俺は彼に感謝していた。こんなことを言うと彼も照れてむくれてしまうから面と向かっては言わないけれど。
 あれから一年半以上も経ち、彼らもすっかりうちの店の常連客となった。
「……ほら、サナ。おいで」
 小野田さんは覚束ない足取りで歩き出すサナちゃんを後ろから抱き寄せる。
 サナちゃんはというと小野田さんの腕の中で「あーうー」となんを喋りながら両腕を伸ばしている。その腕の先にはタケルがいた。
「おい統吾……」
 小野田さんに聞こえないようにさとりんは小声で俺に耳打ちしてくる。
「サナの奴、本当にタケルのこと視えているのか?」
 さとりんの疑問に俺は腕を組んで「う〜ん」と唸った。
「視えているかもしれないし、視えてないかもしれない」
「なんだそれ」
「だってサナちゃんまだ一歳だもん。視えてるかどうかはサナちゃんにしかわからないけど、それを訊いても、ね」
「まあ……そうだけど」
 俺の答えにさとりんは腑に落ちてなさそうだ。短い黒い髪をガシガシ説いて掻いるのがその証拠だ。これは彼の癖で、イライラした時や困惑した時こうして彼は頭を掻く。
「でも、あり得ない話ではないよね。一歳児なんてようやくこの世界に慣れてきたくらいだ。だからいろんな物に敏感なんだよ。それに――幽霊が視えることは、きっとおかしなことじゃないんだからさ」
 サナちゃんにタケルが視えることや小野田さんにもタケルが視えたことは奇跡でもなんでもない。本当はこの世の中には科学では説明できないような不思議な出来事がいっぱい溢れている。幽霊が視える俺たちは、そんな体験をするのが他の人よりほんの少し多いだけだ。
 そう言うとさとりんは驚いた顔をしたが、やがてフッと短く笑った。
「……そうだったな」
 口角を上げたまま、さとりんはおもむろに小野田さんのほうへと顔を向ける。
 そこにはタケルが小野田さんを抱きしめるようにぴったりとくっついていた。小野田さんはサナちゃんだけでなく、タケルごと腕を回し、子供たちをギュッと抱きしめた。そんな満足そうに頬を綻ばせている小野田さんを見ていると、こちらも幸せな気持ちになった。

 ――天国へ行っても、お母さんのこと守るんだぞ。

 タケルが成仏する際、俺は彼にそう言った。その言いつけ通りに彼はこうして空から舞い戻り、小野田さんの守護霊となって彼女のことを護っている。勿論、小野田さんはそんなこと知らないだろう。でも、彼女のその顔を見ていると「ひょっとして」と思ってしまう。
「あ、そうだ! すいません、商品の引き取りですよね」
 色々考えていたせいですっかり仕事のことを忘れていた。
 俺は慌てて店の奥へと進み、小野田さんが注文していた花を取りに行った。
「はい、どうぞ。今日も良いの用意しときましたよ」
 俺は微笑みながら小野田さんにスイートピーの花束を渡す。
「いつも面倒かけてごめんなさいね」
「いえいえ。いいんですよこれくらい。というか、サナちゃん抱っこしたままで持てますか? 紙袋に入れます?」
「大丈夫……と言いたいところだけど、お願いしてもいいかしら」
「かしこまりました」
 彼女の申しつけ通り俺は花が潰れないように丁寧に紙袋に花束を入れた。
 そうこうしている間にサナちゃんは小野田さんに抱っこされていた。
 小野田さんから代金をいただき、彼女の空いた手に紙袋を渡す。
 店の扉を開けてあげると、車道に小野田さんの家の車が停まっていた。運転席にはご主人が乗っており、彼女の到着を待っていた。
「ありがとうございました。ほら、サナもお兄ちゃんたちにバイバイして」
 小野田さんに言われサナちゃんはその小さい手を俺たちに向けて振る。その愛らしい姿を見ていると思わず顔がにやけてしまい、相好を崩しながら俺も手を振り返した。
「おい、顔がやべえぞ」
 突然横から声がしたので振り向くと、さとりんが渋い顔で俺を見ていた。
 というか、顔がやばいってなんだよ失礼な。
「それにしても……小野田さんってスイートピー以外は買わないのか?」
 不貞腐れる俺をよそにさとりんが小さく呟く。素朴そうな疑問なのに顔は真剣で、その凛とした眼差しでじっと去って行く小野田さんを見つめていた。
 彼は小野田さんがいつもスイートピーを取り寄せていることを知っていた。むしろ、その花しか購入しない。彼の言う通り、スイートピーは春の花だ。うちの店でも通年置いてはいるが、毎度購入するのは彼女くらいだ。
 いつも自分の好きなガーベラで悩む彼だからこそ抱く疑問かもしれない。
「スイートピーはタケルがプレゼントしてくれた花だからね。スイートピーを見ているとあの時のことを思い出せるから、今でもこうしてスイートピーを買うんだって」
「ふーん……確かに、タケルがあげた花ならそうなるか」
「スイートピーは可愛いから見てて飽きないしね。それに……花言葉も素敵だし」
「花言葉?」
 さとりんが不思議そうに首を傾げる。
 そんな彼に俺は目を細めて答えてあげた。
「スイートピーの花言葉は……『優しい思い出』だよ」
 そう言うとさとりんは意外そうに目をみはったが、すぐに微笑んだ。
「俺も次回スイートピーにするか」
「うん、それがいいね」
 俺たちは互いに笑いながら、遠く離れ小さくなった小野田家の車を見送った。

 ――大切な人には花束を。
 お花のご相談、なんでも承ります。
 特別なプレゼントには、ぜひ高爪生花店へ。

「……で、俺の花束まだか?」
「あ、ごめん。忘れてた」

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