二周年SS_図書館は、いつも静かに騒がしい

夏の終わりの線香花火

 遠くで『夕焼け小焼け』のメロディが聞こえ、菅原すがわら麻衣まいは配架の手を止めた。反射的に壁掛け時計に視線を向ける。時刻は午後五時。退勤の時間だ。
 手に持っていた資料を所定の棚へ入れると、麻衣は一日の疲れをねぎらうように小さく伸びをした。
 夏休み明けの図書館内は、ひっそりと静まり返っている。つい半月前までは、夏休みの宿題を駆け込みで終わらそうとする子供たちで賑わっていたので、閑散とした閲覧席を見ると少し寂しさを感じてしまう。
 とはいえ、今日の静けさはそれ以外にも大きな理由があった。
 そのせいで麻衣も朝からずっとそわそわしている。終業直前の一時間など、五分に一度は時計を確認していたくらいだ。
 浮足立つ気持ちをなんとか押さえて引継ぎを済ますと、急いで事務所へと向かった。
 麻衣の働くじま図書館は、東京都城北じょうほく区にある三階建ての公共図書館だ。一階と二階は開架になっていて、誰もが自由に資料を手に取り閲覧できる。そして三階は書庫や事務所、更衣室、休憩室――といった、関係者以外立ち入り禁止の区域になっている。
 こぢんまりとしていて、中央図書館のような広さや派手さはないけれど、地域に根差したアットホームな図書館として利用者から愛されている。

 麻衣が事務所に入るなり目にしたのは、有村ありむら小夜子さよこの異様な姿だった。俯いた顔は長い黒髪で覆われていて、表情がまるで見えない。そのままでは視界も悪いだろうに、気にする様子もなく一心不乱に手をもぞもぞと動かして独り言を呟いていた。
 病的に白く、病的に細い彼女は、ホラー映画の幽霊のようだ。だけど、これは決して呪いの儀式などではない。次回のおはなし会の練習をしているのだ。
 最初にこの光景を見たとき、麻衣は「ヒッ!」と、小さく悲鳴を上げてしまった。日が暮れた事務所の中で、小夜子が消え入りがちな声でわらべ歌を口ずさむ姿は、恐怖以外の何物でもなかった。
 事務所ではお馴染みの風景とはいっても、やはりその異質さは人目を奪う。毎回新鮮に驚いてしまうのも無理はない。
 こんな調子で本番のおはなし会は大丈夫なのか? 子どもたちは怖がらないのか? と心配になるけれど、児童書担当の五十嵐いがらし菜穂なほいわく『本番では歌のおねえさんが憑依したようになる』のだそうだ。普段の様子が嘘のように表情が輝き、大きな声で場を盛り上げるらしい。にわかには信じられないけれど、菜穂がそういうのなら間違いないのだろう。もしかすると、小夜子は歌のおねえさんの魂を降臨させる魔術の使い手なのかもしれない。
 事務所でタイムカードを押し更衣室へ向かおうとすると、背後からマネージャーである吉見よしみあやの小言が聞こえてきた。声の向けられた先を振り返ると、彩の前には背中を丸めた館長が所在なさげに座っている。麻衣の視線に気付いた館長は、肩を竦めうんざりしたような表情を見せた。
「ちゃんと話を聞いてください!」
 誠実さに欠ける館長の態度に、彩の声は怒りを増していく。
「ちゃんと聞いてますよぅ」
 間の抜けた返事で場を切り抜けようとする館長だが、彩はそれを許さない。
「今日こそは、はっきりさせてもらいますからね!」
 ジリジリと詰め寄る彩に気圧けおされながら、館長は麻衣に視線で助けを求めた。だけど、麻衣だって巻き込まれるのはごめんだ。それに、この状況。どう見たって館長に非があるに決まっている。どうせまた何かの問題を先送りにして、彩の堪忍袋の緒が切れたのだろう。
「お先に失礼します!」
 麻衣は鈍感を装うと、明るく挨拶をすませその場から立ち去った。
 働き始めてそろそろ一年になるが、彩と館長の関係は相変わらずだ。二人のやり取りを見ていると、完全に上下関係が逆転しているように感じることすらある。責任感の強い彩と、適当人間な館長はその性質上、意見がぶつかる部分が多いのだ。そのため、ちょっとしたことがきっかけで言い争いが起きる。――まぁ、言い争いとはいっても、彩が一方的に怒っているだけなのだけれど。
 それでも、二人がいがみ合っている訳ではないのをスタッフ全員が理解していた。いい加減そうに見える館長も、ここぞというときは頼りになるし、彩も大事な局面では館長を立てる。つまり、心の深い部分で二人はお互いを信頼しているのだ。だからこそ、安心して本音でぶつかり合えるのだろう。
 ――館長と彩さんは、長年連れ添った夫婦みたいだな。
 更衣室で着替えをしながら、麻衣はそんなことを考えた。本人たちにそれを伝えたら、きっと二人ともむきになって否定するに違いない。その姿を想像し、自然と口元が緩んだ。
 私服に着替え終わると、ロッカーの鏡に映る自分と目が合った。ふと気づくと、汗で化粧が落ち、ひどい顔になっている。
 暦の上では秋でも、まだまだ夏は終わりそうにない。館内の空調は静かに本を読む人を想定して設定されているため、動き回っているスタッフにとって快適とはいえないのだ。そのため、一日が終わるころには顔も体も汗でベタベタになってしまう。
 小さなため息を一つこぼすと、麻衣はポーチからあぶらとり紙を取り出し、丁寧に顔の皮脂を押さえた。それからフェイスパウダーを軽く載せ、薄くなった眉を描き足して淡いピンクのリップを塗った。化粧したてとはいかないけれど、なにもしないよりはずっとマシだろう。そう考えながらぐしで髪を整えていると、鏡に向かい無意識に笑顔の練習をしている自分に気づき、麻衣は気恥ずかしくなってロッカーの扉を閉じた。

「あれ? あれあれあれあれ、あれぇ?」
 とんきょうな声を上げたのは、書庫で探し物をしていた同僚の鮎川あゆかわ智也ともやだ。更衣室から出てきた麻衣と目が合うなり、好奇心を丸出しにして足早に向かってきた。
 細い目をさらに細めて、智也は興味深そうに麻衣の顔をじろじろと覗き込む。そこに遠慮や気遣いなどはない。もちろん、異性としての距離感など皆無だ。
「な、なんですか?」
 息が麻衣の顔にかかりそうなほど顔を近づけられ、麻衣はひるんで半歩後ろへ下がった。
「いやー、なぁーんか違和感があるんすよね」
 智也は顎に指を添えて、麻衣の頭から足元までを舐めるように観察し始めた。そして、はっとひらめいた表情をすると、人差し指を立てて嬉しそうに話し始めた。
「ははーん。わかった。わかりましたよ。麻衣さん、今日はこれからデートっすね?」
「……はいぃ?」
 予想外の指摘に、麻衣は間の抜けた声を出してしまう。だけど、智也はそんな麻衣を見て、満足そうにゆっくり頷く。
「別に隠さなくてもいいんすよ。いつもよりめかしこんでますもんね!」
 ――ああ、いつもの悪い癖がまた出たのか。
 麻衣は心の中でそう呟くと、智也の誤解をとこうと口を開いた。
「ちが……その、デートなんかじゃないですよ?」
 確かに智也の言う通り、今日はいつもの退社スタイルとは少し違う。
 詩島図書館は、紺色のエプロンが制服になっていて、その下に着用する衣類は常識の範囲内であればなんでも構わない。そのためほとんどのスタッフは、出勤した私服の上にエプロンを着用している。麻衣もその一人だ。
 いつもは動きやすいジーパンにカットソーといったラフな格好だが、今日は着替えを持参してきた。見慣れないクリーム色のシフォンワンピースに茶色の編み上げサンダルという麻衣の姿に、智也は疑いを抱いたのだろう。
「その否定の仕方、ますます怪しいっすね」
 いぶかしげに眉を寄せ、智也はそのまま考え込むように口を閉ざした。
 これは出会った日から変わらない、智也の悪い癖だ。ミステリー小説を愛する彼は、虚構と現実の区別ができていない。そのため、日常の中にしばしば謎と事件を求める傾向があるのだ。
 『謎と事件』――というと聞こえはいいかもしれないが、実際問題、それはただの邪推に過ぎない。そうして拡大解釈をした結果、とんでもない迷推理を導き出すのが智也の常なのだ。
 気の毒そうな視線を送る麻衣を気にも留めず、智也はゆっくりと視線を上げた。
「……まぁでも、人の恋路を邪魔するなんて無粋な真似はよくないっすね。大丈夫、誰にも口外しませんよ。だから、その……楽しんできてくださいね、デート」
 含み笑いを浮かべると、智也は事務所へと続く扉に手をかけた。
「だから、違うんだって!」
 智也の背中に向かってそう叫んではみたものの、彼は背中を丸め「ニシシ……」と笑うと麻衣の前から立ち去ってしまった。
 『口外しません』なんて絶対に嘘だ。自分の推理力を過大評価している智也のことだから、すぐにでもペラペラと言いふらすだろう。だけど、心配する必要はない。彼の悪癖あくへきは周知の事実。噂を振りまいたところで失笑されて終わりだ。いっそ犬猿の仲である小夜子に聞かれて叱られてしまえばいい――。
 心の中で悪態をつきながら、麻衣は正面玄関へと向かう階段を下りる。自動ドアが静かに開き、湿気をたっぷりと含んだ外気が肌に絡みついた。
「お疲れさま!」
 道の反対側から、耳慣れた声が聞こえた。視線を向けると、麻衣のルームメイトでもあり、幼なじみの河野こうの夏海なつみの姿が見える。
 そう、今日は夏海と仕事終わりに待ち合わせをして、近くの商店街の秋祭りに行く約束をしていたのだ。麻衣が一日中そわそわした気持ちだったのは、この祭りを楽しみにしていたのが理由だった。
「お待たせ!」
 そう言って麻衣が小走りで近づくと、夏海がうっすらと汗をかいているのに気づいた。化粧直しや智也に時間を取られたせいで、思った以上に夏海を待たせてしまったらしい。それでも笑顔で疲れを労ってくれた夏海の優しさに、麻衣は心の中で感謝した。
「ごめんね。外で待ってるの暑かったでしょ? 中で涼んでいたらよかったのに」
 この暑い中、外で待っているのはさぞ辛かっただろう。そう思い、改めて謝罪の言葉を口にすると、夏海は驚いた表情を見せた。
「……いわれてみれば確かに! 浮かれてて考えつかなかったよ!」
 どうやら夏海は祭りを楽しみにするあまり、暑さを感じなくなっていたようだ。麻衣も祭りは好きだけれど、そこまでではない。
 そういえば、昔から夏海は大の祭り好きだったな――と麻衣は小さい頃を思い返した。
 二人の故郷は人口の過疎化が進む正真正銘の田舎だったけれど、祭りは盛大に執り行う土地柄であった。娯楽が少ない地域では、子ども神輿を担いで近所を練り歩き、お菓子とジュースで打ち上げをするのは、年に一度の大イベントだったのだ。
 その中でも夏海は特に祭りを心待ちにしていた。夏が始まると、祭りが待ち遠しくて落ち着きがなくなる。授業中ですら気もそぞろになるので、小学生の頃はよく先生に注意されていたくらいだ。
 今ではバリバリ働くキャリアウーマンの夏海だが、こうして昔と変わらない部分を見つけると、微笑ましさで胸がいっぱいになる。
 懐かしさに浸っていると、夏海が心配そうに麻衣の顔を眺めた。
「ねぇ、あのさ。仕事でなんかあったの?」
「いや、別になにもないけど……どうして?」
 予想外の質問に、麻衣はきょとんとした表情になる。今日一日を振り返っても、大きなトラブルやミスはなかった。
「いやね、さっきあそこから出てくるとき、口が思いっきり『への字』になってたから」
「え、本当に?」
 夏海に指摘されて麻衣は口元に手を当てる。無意識に口角が下がっていたのだろうか?
「せっかくのデートなのに、ムスッとしてたら台無しだよっ!」
 ――デート? さっきから、どうしてみんなデートの話をするのだろう? 今日はただ夏海と秋祭りに行くだけなのに……。
「もー、何? 夏海までデートって!」
 とっさにそう言い返したけれど、それを聞いた夏海は面白そうに目を細めた。
「ん? その『夏海まで』ってどういうこと?」
 興味津々でそう尋ねてくる夏海に、麻衣は智也とのやりとりをかいつまんで話して聞かせた。
「へぇー。その人、鋭いねー」
 話を聞き終えた夏海の感想は、麻衣の考えとは正反対なものだった。智也が鋭いなんて、そんな馬鹿な話があるわけない。だから、麻衣は呆れた口調で反論した。
「鋭くなんかないよ。女二人で出かけるのがデートだなんて、そんな寂しい話ないよ」
「いやいや、デートは私とじゃないでしょー?」
 夏海は意味ありげに笑い、焦らすように言葉の先を濁す。
「……どういう意味?」
 夏海の手のひらで転がされている気もするけれど、答えが知りたくて麻衣は続きを促した。
「だってさぁ、一年ぶりの再会なんてロマンチックなデートじゃない!」
 その言葉の意味を理解して、麻衣の頬は一瞬で熱を帯びた。
「ちょ、ちょっとそんなんじゃないってば! 今日は二人で祭りに行く、それだけでしょ?」
 心なしか声が上擦っているような気もする。だけど、それを抑える気持ちの余裕はない。
「そこまで言うなら、そういうことにしておきますか!」
 必死で否定する麻衣を満足そうに眺め、夏海は意地悪そうにニヤリと笑った。そして、「祭りとビールがあれば、すべて世はこともなし!」と続けると、踵を返して商店街に向かって歩き出した。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
 早歩きで先を急ぐ夏海の背中を、麻衣は小走りで追いかけた。

 商店街が近くなるにつれ、道行く人の数も多くなってきた。浴衣を着たカップルや出店で買ったおもちゃを嬉しそうに抱える子どもを見ていると、麻衣の気持ちも自然と華やいでいく。
「あ、あそこでビール売ってる!」
 夏海は目ざとく酒屋の出店を見つけると歩くスピードを上げ、人の間を器用にすり抜けていった。気をつけないとはぐれてしまいそうだ。
 麻衣は夏海を見失わないように目で追い、離れないように後をつける。小走りで歩いたせいで、額から汗が垂れてきた。せっかくの化粧直しも、暑さのせいで台無しだ。
「麻衣もビール飲む?」
 そんな麻衣の気持ちに気づくことなく、夏海が無邪気な笑顔で振り返る。こうなったら、化粧のことなど気にせず、思う存分楽しもうじゃないか。夏海だって、独りでビールを飲むより二人で飲んだほうが楽しいはずだ。
「もちろん! 今日は飲むぞー!」
 麻衣の返事に、夏海は歯を見せて満面の笑みを浮かべた。
「いらっしゃい! ……あら? あなたもしかして」
 バッグから財布を取り出し、お金を払おうとしたところで、出店の店員から声がかかる。その不思議そうな声音こわねに麻衣が顔を上げると、そこにいたのは図書館の利用者だった。普段はそれほど会話する機会がないけれど、図書館を頻繁に利用しているためお互い顔は知っている。どうやらこのお店のおかみさんだったらしい。
「どうも、こんにちは」
 麻衣が会釈をすると、おかみさんも柔和な表情を返す。
「今日は仕事お休み?」
「いえ、さっき終わったところなんです」
「あらーお疲れさま。お祭り、楽しんでらっしゃいな」
 氷水で冷やされた缶ビールを受け取り、麻衣はペコリと頭を下げて店を離れた。さて、冷たいビールも買ったことだし、さっそく飲もう――と考えたところで麻衣は異変に気づいた。
 ――夏海がいない。
 酒屋のおかみさんと話している間にどこかへ行ってしまったのだろうか? あたりを見渡すがそれらしい人影はない。両手に缶ビールを持ってうろたえていると、背後から間の抜けた声が聞こえた。
「ほい、つまみだよー」
 振り返るとそこには、きゅうりの一本漬けをこちらに差し出す夏海の姿があった。
「もう、離れるなら教えてよー。驚いたじゃない」
「ごめん、ごめん。話長くなるかなーと思って。麻衣ってば人気者だね」
 こちらは怒っているというのに、夏海にはまるで届いていない。いや、届いていてもあまり深く考えていないのだ。幼い頃から一緒だったから、これくらいの不満はさらりと流されてしまう。
 それに、『人気者だね』なんて褒められたら、麻衣だって悪い気はしない。怒っていた気持ちも、照れで一瞬にしてかき消されてしまった。
 ばつの悪い顔できゅうりの一本漬けを受け取り、麻衣はひとくちかじった。みずみずしくて、青くて、塩味が効いていて、なんだか夏そのものを食べているような気分になる。
「……おいしい」
 今日はたくさん汗をかいたから、きゅうりの一本漬けがいつもよりずっとおいしく感じた。その後を追いかける缶ビールが、体の隅々にまで染み渡っていく。
 しみじみ呟く麻衣を満足そうに見つめると、夏海は大胆に背を反ってビールに口をつけた。ゴクゴクと上下する喉元が、歓喜に舞い踊っているように見える。そして、麻衣が見守る中、ひとくちですべて飲み干してしまった。相変わらずいい飲みっぷりだ。
「くぅ――っ!」
 余韻を惜しむようにそう叫びながら、夏海は空になったビール缶を口から離した。
「もう一本買いに行く?」
 まだ飲み足りないのを察して麻衣が尋ねたけれど、夏海はゆっくりと首を振った。そして腕時計に視線を配ると、「そろそろメインイベントが始まる時間だ」と言って、麻衣の手を取り商店街の中心であるアーケードへと導いた。

 麻衣たちがアーケードへたどり着くと、そこはすでに二人と同じ目的の人々で賑わっていた。老若男女問わず集まっているようにも見えるが、じっくり観察すると若い女性が多いのに気づく。彼女たちは皆一様にカメラやスマートフォンの撮影機能をチェックし、そわそわとした表情を浮かべている。恋に焦がれた少女のようだ。
 そうした人混みを避け、二人は空いているスペースを探す。けれど時間の経過とともに、さらに人が増え続けていく。結局、陣取ることができたのは、商店街の外れのアーケードの終わり部分だった。それでも、一番前に並べたのだから充分に特等席だろう。
「そろそろかな?」
 夏海の言葉に、麻衣の表情が硬くなる。なぜそうなったのか、その理由は自分でもわからない。ただ、無性に息が苦しくなった。呼吸の仕方を忘れてしまったみたいに。
 時を同じくして、遠くで歓声が沸き上がる。その瞬間、弾かれたように麻衣は声のする方向を向いた。今いる場所とは反対側、ちょうど商店街の始まるあたりから歓声は聞こえ、そのうねりは段々と麻衣のいる場所へと近づいてくる。
 音の波を浴びるうち、目の前の景色が現実から非現実に変わっていく気がした。五感が麻痺して、ふわふわと浮いているような陶酔感に包まれる。
 ――そんなに飲んでないのに、酔っ払ったのかな?
 定まらない頭でそんなことを考えていると、祭り囃子とは明らかに違う厳かな音楽が聞こえてきた。雅楽のようなメロディに乗り、煌びやかな和服を着た行列がゆっくりゆっくりとこちらへ歩みを進めてくる。
 中心にいるのは朱の色打ち掛けに金色の俎板帯まないたおびを身につけた和装の人物。傘を差すおとこしゅうの肩に手を置き、黒塗りの高下駄を大胆に投げ出し器用に歩いている。
 色とりどりの浴衣を着た観客に囲まれていても、一行の極彩色の世界は決して霞むことはない。その空間だけが淡い光を放ち、白昼夢を見ているような錯覚に陥った。

 そう、夏海の言っていた『メインイベント』というのは、この花魁道中のことだったのだ。
 花魁道中を行うのは、全国各地を旅して回っている大衆演劇の劇団『桜花座おうかざ』だ。毎年この季節になると桜花座は商店街近くのすずはら演芸場で一ヶ月ほど興行を打つ。その興行前に、お知らせと顔見せを兼ねて花魁道中を行うのが恒例となっているのだ。その豪華絢爛なパフォーマンスを心待ちにするファンも多く、すっかりこの商店街の秋の風物詩になっている。今年はたまたま祭りの日程と重なったため、合同で執り行うことになったらしい。

 そしてこの桜花座と麻衣は、浅からぬ関係にある。
 出会いは一年前。それは今日と同じ花魁道中の日のことだった。
 出勤前、たまたま商店街を通りかかった麻衣は、目も眩むほど艶やかな花魁道中を目にし、一瞬で心を奪われた。そして同僚の菜穂に誘われるまま鈴原演芸場を見学し、図書館で働くには郷土に愛着を持つことも大切なのだと心に刻んだのだ。
 最初こそ一方的な出会いだったものの、その後図書館の仕事を通じて桜花座の面々と知り合い、接していくうちに、徐々にその仲を深めていった。
 今回の花魁道中の話も、桜花座の長女である櫻井さくらいみやびからのメールで知った。それを夏海に話したところ、「ぜひ見に行こう!」という話になったのだ。

 ゆっくりと歩みを進めてきた行列は、ついに麻衣の目前まで迫ってきた。先頭に立つ男衆が劇団の提灯を掲げ、独特の節回しで興行の口上を述べてゆく。
 その後に続くのは、雅の弟である双子の大河たいが龍臥りゅうがだ。二人は深紅の禿かむろ衣装を身にまとい、堂々とした表情で行列に彩りを添えていた。いつもの子どもらしさはなりを潜め、立派に自分の仕事をこなしている。小学校低学年とは到底思えない。小さな友人のプロ意識に、麻衣は心の中で大きな拍手を送った。
 そして双子の後ろに控えているのが雅の兄であり劇団の次期座長、花魁役の櫻井さくらいたつしんだ。陶器のような白い肌、切れ長の目尻に紅をさし、凛とした表情で遠くを見つめる姿は、息を呑むほどに美しい。その妖艶さと圧倒的な存在感に、肌がぷつりと粟を立てた。
「きゃーっ! 若様!」
「若様、こっち向いてぇ!」
 麻衣の後ろから、黄色い声が上がる。『若様』こと辰之進は、その整った容姿ゆえ、熱狂的なファンが多い。その中には、辰之進に近づこうと画策する厄介なファンもいる。
 辰之進自身もその危険性を充分理解していて、ファンとの距離感はなにかと気を遣っているらしい。麻衣と辰之進が初めて会話をした際も、ファンと誤解されずいぶん冷たい態度をされたものだ。そのときのことを思い出し、麻衣は自然と笑みを浮かべた。
 するとその瞬間、ずっと正面を向いていた辰之進が小首をかしげ、流し目でちらりとこちらに視線を向けた。心なしか、口元が小さく上に上がった気がした。
「きゃーっ!」
「ああーっ、写真ちゃんと撮れなかった。若様ー! もう一回こっち向いて!」
「今、絶対、私と目が合った!」
 興奮した声で後ろのファンが叫ぶ。
 麻衣はそれすら耳に入らず、ただ呆然と遠くなる行列を眺めていた。

「……なんか、すごかったね」
 夏海が隣で絞り出すように囁き、麻衣は我に返った。
「……うん」
 余韻覚めやらぬ中、そう答えるのが精一杯だった。
 去年の花魁道中は、演者と観客という立場だから意識していなかったけれど、今日改めて見て、その光の強さに怖じ気づいてしまった。華やかな舞台に立つ桜花座の面々が、とても遠い存在に思えたのだ。そして同時に『自分が親しくしているなんておこがましいのではないか?』という疑問がわいた。もちろん、友人として誇らしい気持ちはある。だけど、それ以上に住む世界が違いすぎると感じたのだ。
 けれどきっと、その疑問を投げかけたら辰之進は怒るだろう。雅に至っては「見くびんな!」と啖呵を切るかもしれない。
 去年の別れ際、麻衣はこの場所で――誌島図書館で、桜花座の帰りを待つと約束した。だから、くだらない憶測をしたり、自分を卑下したりするのはやめよう。そう考えて麻衣は頭の中に浮かぶ疑問符を必死でかき消すことにした。
「あの花魁の人さ、若様……だっけ? 男の人なんだよね?」
 夏海の質問に、麻衣は静かにうなずく。
「すごいなー。女より女らしい。だってさ、あんなに着込んでるのに、汗一つ垂らしてなかったよ?」
 感心するような夏海の声に、麻衣もまったく同じ気持ちになる。
「菜穂さんが言ってたけど、あの衣装って三十キロくらいあるらしいよ。先週買った米袋の六倍だね」
 麻衣が冗談めかして言うと、夏海はうんざりして顔をしかめた。米袋を一袋持って帰るのだって大変なのに、六袋担ぐなんて想像するだけで気が滅入るのだろう。

 メインイベントである花魁道中を終え、二人は当てもなく祭りを楽しむことにした。露店でビールやつまみを買い込み、公園に設置された特設会場で飲み食べしながらのど自慢大会やフラダンスの発表会を眺める。
 祭りというのは不思議だ。屋台の匂いやお囃子の音、肌に絡みつく人々の熱気やチープな食べ物など、五感すべてで非日常を味わえる。そのため祭りの中にいると、つい冷静さを失ってしまう。どうやらそれは夏海も同じようで、先ほどから「くじ引きの屋台に行きたい!」と騒いでいた。どうやらお目当ては特賞のゲーム機らしい。
「特賞なんて、絶対に当たる訳ないじゃない。素直にお金出して買ったほうがいいと思うよ」
 そう言って麻衣がたしなめても、夏海は頑として諦めない。
「確かに自分で買えばいいんだろうけど、祭りの日にそれは無粋だよー。当たらないも含めてワクワクを買うんだよ、こーゆーのは」
 麻衣の言葉を無視して、夏海は財布の口を開いた。本人がそう言うのなら、これ以上咎め立てする理由はない。
「おじさん、一回ね」
 お金を払いくじを引く夏海を、麻衣は冷ややかな目で見つめた。三角に折られたくじを引き店主へ渡すと、それを見た店主が鈴を手に取り大きく鳴らした。
「二等、大当たり〜!」
 周囲にアピールするように大声を振りまき、店主は夏海の顔を見てニタリと笑った。
「え、何? 何? 二等って、ひょっとしてすごい物当てたんじゃない? 私」
 興奮する夏海に、店主は二等の賞品を手渡す。
「え、これって……」
 夏海に渡されたのは、子どもの身長くらいの空気で膨らませるビニールでできた剣だった。店主いわく、今大人気の特撮ヒーローが使うものらしい。大きな剣を持つ夏海の姿を見て、麻衣は思わず失笑してしまう。
「ちょっと麻衣、笑うなんてひどくない?」
「ごめん、ごめん。だって――」
「おじさん、もう一回!」
 麻衣の失笑に熱くなったのか、夏海はもう一度くじを引こうと財布を出す。
「もうやめておいたほうがいいんじゃない?」
 そう忠告しても、熱くなった夏海の耳には届かない。
「実は今朝の占い、絶好調だったの。だから今日の私はツイてるはず。二等が当たったから特賞も引ける気がする!」
 これ以上なにを言っても無駄だ。気が済むまで黙って見届けよう。
 傍観者に徹していると、バッグの中でスマートフォンが鳴っているのに気づいた。発信者表示は『櫻井雅』と出ている。麻衣は慌ててスマートフォンを取り出すと、呼吸を整え通話ボタンを押した。
「もしもし?」
『あ、もしもし麻衣さん?』
 聞き慣れた懐かしい声に、思わず麻衣の声も弾む。
「さっき見てたよ。雅ちゃんの新造しんぞ姿、すごくきれいだった」
『来てくれてたんだ。ありがとう』
 花魁道中の最後を飾った雅は、紫色の着物を着た新造姿だった。十代半ばの雅は、幼さや可憐さを顔に残していて、妖艶な辰之進とはまた違った魅力を放っていた。
「どうしたの? 電話なんて珍しいね」
『あ、うん。あのさ、今なにしてるのかな? ……って思って。近くにいるなら演芸場に遊びに来ない? 大河と龍臥が花火やろうって騒いでて。スイカもあるし。もちろん、嫌でなければ、だけど』
 ぶっきらぼうだけど遠慮がちな口調に、雅の性格がよく出ているな――と麻衣は思った。
「今、友だちと一緒にいるんだけど、それでも大丈夫かな? 確認してからになっちゃうけど」
『うちは構わないよ。友だちが問題ないなら一緒においでよ。裏口に回ると庭があるから、そこで待ってるね』
「わかった。また後でね」
 通話を切ると、目の前には切ない顔をした夏海が佇んでいた。その両手にはビニールの剣が握られている。
「ありゃ、結局二回目も二等だったの?」
 麻衣の問いかけに、夏海はしょんぼりしてうなずく。この結果はある程度予測できていた。
『二等』と聞くと上等な賞のように聞こえるが、実際は大量に二等の当たりくじが入っているのだろう。たいしたことない二等を当てさせることで、『二等が出たなら次は特賞が出るかも』と客の射幸心を煽るのが狙いだ。その策略に夏海はまんまと乗せられてしまった。
 落ち込む夏海を気の毒に思いながら、麻衣は雅から電話があったことを伝える。そして、「一緒に遊びに行かない?」と提案してみた。
 それを聞いた夏海は目を輝かせ、一も二もなく「行く!」と即答した。

 祭りの喧噪けんそうから離れ、商店街を抜けていく。今日は休館日ということもあり、演芸場前はひっそりと静まり返っていた。発券窓口を通り過ぎ、建物裏手へと回り込む。すると、雅が言っていた通り、広めの庭へと繋がっていた。
「あ、麻衣ちゃんだ!」
「ホントだ!」
 庭に足を踏み入れると、二人の存在に気づいた大河と龍臥が大声を上げる。
「久し振り! 大きくなったね!」
 麻衣がそう声をかけると、二人はにっこりと笑った。そして隣にいる夏海を見て、もじもじと顔を伏せた。どうやら人見知りをしているらしい。さっきの堂々とした禿の姿とは違う、年相応の反応に微笑ましい気持ちになる。
「こんばんは! 麻衣ちゃんの友だちの夏海おねえさんだよ。はい、これお土産!」
 夏海は二人の緊張を解くように大きな声で挨拶すると、くじ引きで当てた剣を差し出した。それを見た大河と龍臥は目を輝かせ、「いいの?」と叫んでチラリと後ろに目を向けた。
 視線の先には雅がいた。双子のはしゃいだ声が聞こえたので、庭に接する縁側から出てきたらしい。
「あのね、麻衣ちゃんのお友だちがお土産くれるって!」
 声を弾ませ剣を振り回す双子を見て、雅はペコリと頭を下げた。
「気を遣わせちゃって、すみません」
「いやいや、私としても喜んでもらえてありがたいくらいで」
 夏海が頭をかきながら言う言葉に、嘘偽りはないだろう。ビニールの剣が本当に欲しい人の手に渡り、本当によかったと麻衣も思う。あのまま家に帰っていたら、家のゴミ袋のかさが増すだけだった。夏海のくじ運は、意外と悪くないのかもしれない。
「バトルしようぜ!」
 どちらからともなくそう言うと、大河と龍臥は剣を振り回して遊び始めた。それを見た夏海が、声色を変えて二人を挑発する。
「ぐふふふ……愚かな双子たちよ。この私に勝てるかな?」
 悪役になりきり、意味ありげな表情で庭の端へと走って行く。
「出たな! 悪者! 待てぇ!」
 大河も龍臥も挑発を受け入れ、逃げていく夏海を追いかけた。剣を構え、即座に戦闘態勢を整えていく。麻衣と雅はそれを眺めながら縁側に腰を下ろし、久し振りの再会を喜んだ。
「急な誘いだったのに、来てくれてありがとう。麻衣さんの友だちもいい人だね」
「こちらこそ。誘ってもらえて嬉しいよ。夏海はね、小さい頃からずっと一緒なの」
「……そっか、いいね、そういうの」
 少し悲しそうな雅の横顔に気づき、麻衣は言葉を詰まらせた。桜花座は全国を旅して回っている。それは雅が子どものときから変わらない。どこかに留まることなく、ずっと流れ流れていくのだ。この先もずっと。
 だから、幼なじみどころか友だちだって作れない。それがどれだけ寂しいことなのか、麻衣には想像もできなかった。
 視線を夏海と双子たちに移す。戦いは激しさを増し、テンションの高い声が辺りに響いていた。
「なんだ、なんだ。ずいぶん騒がしいじゃねーか」
 訝しげな声が背後から聞こえた。振り返るとそこには、浴衣姿の辰之進の姿があった。どうやら風呂上がりらしく、肩にはタオルがかけられており、髪もまだ濡れている。
 辰之進は麻衣の存在に一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに持ち前の涼しい顔に戻り「なんだ、来てたのか」とつぶやいた。
 そのつれない態度に、雅が文句をつける。
「ちょっと、その言い方はないんじゃない? ここに戻ってくるの、兄貴すっごい楽しみにしてたじゃん!」
「ちょ、雅! なに言い出すんだよ!」
 明らかな動揺を示し、辰之進は浴衣の裾で顔を隠した。こうした仕草の一つ一つまでも、風流で麻衣はつい感心してしまう。
「まったく、少しは素直になりなよねー」
 そうして口の端をわずかに上げると、雅は勢いよく立ち上がった。そして、さっきまで自分が座っていた場所に辰之進を座らせ「私スイカ切ってくるから、麻衣さんと話してて。積もる話もあるでしょう?」と言って去って行った。
「まったく、あいつはホント可愛げがないよな」
 去っていく雅の背を眺めながら、辰之進が納得いかない声で呟く。兄姉の仲の良さを目の当たりにして、麻衣はクスクスと声を出して笑った。
「いや、笑い事じゃないよ。反抗期かな?」
「二人は、――というか桜花座の人たちって仲良しですよね」
 麻衣の口からこぼれ出た言葉に、辰之進はまんざらでもない表情を浮かべた。辰之進にとってこの劇団は、人生のすべてでもある大切なものなのだ。
 そうして二人はこの一年にあった出来事を思い思いに話した。
 巡業先で見た驚きの風習や食べ物の話。台詞を忘れて焦った話など、辰之進の話はどれも面白おかしく興味深かった。
 麻衣は麻衣で誌島図書館スタッフの奇行や、変わらない館の日常。そして、ついに司書資格を取ったことなどを話した。
 辰之進と接していると、離れていた時間が嘘のように感じる。まるでずっと一緒にいたみたいだ。隣に座っていると、それだけで心が軽くなっていく。

 ――どのくらいの間二人で話していたのだろう?
 ふと気づくと、縁側には三角形に切られたスイカが並べられていた。雅はというと、すでに双子や夏海の仲間に加わり、手持ち花火を楽しんでいる。
 辰之進との会話が弾み過ぎて、周りが見えなくなっていたようだ。
 楽屋へ繋がる和室の襖がゆっくりと開き、風呂上がり姿の団員が縁側を通りかかった。背格好から見て、花魁道中で先頭を歩いていた男衆の人だろう。
「おじゃましています」
 麻衣が頭を下げて挨拶をすると、団員は興味深そうにこちらへやってきた。
「こんばんは。若のお友だちですか?」
 好奇心を宿した視線で見つめられ、麻衣は自然と身構えてしまう。
 辰之進はそんな団員を流し目で捉え、「さてね」とだけ返した。これ以上話を広げるなよ――という彼なりの予防線なのだろう。だけど、団員はその意図に反してこの場を離れない。悪い人ではなさそうだが、少しだけ場の空気が読めない人のようだ。
 団員はそのまましばらく麻衣を眺めた後、突如表情を輝かせた。
「あ、わかった! 若の彼女ですね! そういや鈴原で興行打つの、楽しみにしてましたもんね。『会いたい人がいる』――とかなんとか言って。なるほど、この人がその――」
 嬉々として話していた団員が、突如として言葉に詰まる。それもそのはず、辰之進がその口を思い切り手で押さえたからだ。
「まったくお前ってやつは、思ったことをすぐ口に出す! それで親父にも注意されてんだろ! いい加減にしろ!」
「あー、すみません。すみません。俺また余計なこと言いました?」
 悪びれもせず謝る団員の肩に腕を乗せ、辰之進がふて腐れた声で叫んだ。
「言ったよ、言ったさ! 今度はその口、縫いつけてやるからな!!」
 こんな取り乱した辰之進の姿を見るのは初めてだ。
そして二人は同じ劇団のメンバーとして、心から信頼を寄せ合っているのだろう。そんな無防備な姿を自分にさらしてくれたことを、麻衣は嬉しく思った。――と同時に、耳まで赤く染めて怒る辰之進の姿を目にし、麻衣の顔も自然と熱を帯びていく。
「さーてと、私も花火しよっかな」
 わざとらしい独り言を呟き、麻衣は花火を楽しむみんなの元へと駆けていく。
 あのまま縁側にいたら、自分の顔が火照ほてっているのがばれてしまう。それはとてもとても恥ずかしいことのように思えた。

「まーぜーて!」
「いーいーよ!」
 五人がそれぞれ線香花火に火をつける。ルールは簡単、最後までだねが残っていた人の勝ちだ。火薬の匂いが辺りに広がり、キュッと胸が締めつけられる。夏の終わりの匂いだ。
 線香花火はジジッ……ジジッ……っと音を立て、五人の顔を赤く照らす。

 ――『会いたい人がいる』。それが自分のことであったらどんなに嬉しいだろう。
 辰之進も、自分と同じように再会を待ち望んでくれていたのだろうか?
 音を立てて弾ける線香花火に、ざわつく心が重なった気がした。

「あ、麻衣ちゃんの負けー!」
 一番に火種を落とした麻衣に向かい、龍臥が得意そうに声を上げた。
「えへへ、負けちゃった」
 動揺に震える手を押さえ、麻衣はいつも以上に明るい声でおちゃらける。
 そして辰之進を横目で見ると、『この瞬間が永遠に続けばいいのに――』と、子ども染みた願い事を静かに胸に浮かべた。

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